幕末の長岡藩士・河井継之助(1827~68)が江戸へ遊学した際の行程が、直筆の新史料で明らかになった。司馬遼太郎の小説「峠」では新潟と群馬の県境にある三国峠を越えたとされているが、新史料では新潟と長野を結ぶ北国街道を通っていたことが分かった。
直筆の書状に記された行程
新史料は、継之助が30代で2度目の江戸遊学をした際にしたためた父宛ての書状で、昨年秋に新潟県内在住者から河井継之助記念館(新潟県長岡市)に寄贈された。
書状には、長岡を出発して1859(安政6)年1月7日に江戸に到着するまでの行程が記され、「山なか八宿之内、弐本木之宿へ到ル時ハまつけニ雪たまり」との一文がある。記念館によると、「山なか八宿」は、北国街道にあった八つの宿場「中山八宿」(新潟県上越市、妙高市)を間違って書いたとみられ、「弐本木之宿」はそのうちの一つ「二本木宿」(上越市中郷区二本木)とされる。
三国峠越えのエピソードとの違い
書状にはほかにも「高崎」(群馬県高崎市)、「熊がへ」(埼玉県熊谷市)、「蕨(わらび)」(同県蕨市)などの地名が記載されており、継之助が北国街道から中山道の碓氷峠を越えるルートで江戸に行ったことが分かった。



