国宝・阿修羅像の戦時疎開、児童書に モデルの家族が秘話語る
国宝・阿修羅像の戦時疎開、児童書に モデルの家族が秘話

太平洋戦争末期、国宝を焼失から守るために行われた「仏像疎開」をテーマにした児童書「列車にのった 阿修羅さん」(四六判、132ページ)が、興福寺の国宝・阿修羅像に関する実話を基に2023年にくもん出版から発刊された。主人公の少年・総一郎のモデルは、奈良県吉野町出身の舟知市太郎さん。2024年に88歳で亡くなった市太郎さんの長女・節子さん(67)は、当時のことを今も調べ続け、「戦争を知らない子どもたちに読んでほしい」と話している。

隣近所も知らぬ極秘の疎開

県と旧文部省は、東大寺や興福寺などの仏像疎開を決定。戦況悪化に伴い、旧大宇陀町や吉野町への移動が決まり、阿修羅像は1945年7月に鉄道で吉野町へ運ばれ、1946年4月まで町内の舟知家の土蔵で保管された。戦時下で人手が不足していたため、奈良刑務所の受刑者も作業を手伝ったとされる。

児童書は、舟知家のエピソードを基に児童文学作家のいどきえりさんが執筆し、奈良出身のマスダケイコさんがイラストを担当。兵隊ごっこに興じる少年・総一郎が「戦いの神さま」と呼ばれる阿修羅像に魅了されるが、日本の敗戦後、苦しい気持ちを阿修羅にぶつけ、やがて手を合わせる本当の意味を知るという内容だ。

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「隣の家の人も知らないくらい隠密だった」

節子さんは小学生の頃、興福寺の国宝館で初めて阿修羅像を見た。その日、奈良市に来ていた曽祖母が初めて当時のことを口にした。「不思議やなあ。阿修羅さんは、うちにいはってんで」。仏像を迎え入れた元吉野町長の曽祖父の命日だったという。

ただ、幼かった節子さんはその発言をよく覚えておらず、舟知家に仏像が疎開していたと知ったのは高校生くらいの頃に見た戦争展だった。その後、当時を知る人や専門家に話を聞いて学び、現在は奈良市内でくず餅を販売する「よしのや」を営む傍ら、講演会などで伝える活動にも取り組む。

市太郎さんは節子さんだけでなく、妻で節子さんの母・任子さん(90)にも仏像疎開について語っていなかった。当時の空気感を知る任子さんは「隣の家の人も知らないくらい隠密だった。預かるのは必死の覚悟だったと思う」と振り返る。

「守り通してくれたおかげで今がある」

児童書の基になった情報は節子さんが集めたものだ。「仏像を守り通してくれたおかげで、今の私たちが見ることができる。ひいおじいさんのすごさを改めて実感している」と話す。本が完成した時、施設にいた市太郎さんにも届けられ、最期まで故郷の吉野を懐かしんでいたという。

節子さんは「語り継ぐ人がいなくなる中、本当にあった話として、戦争は国宝も疎開しないといけないほど怖いと知ってほしい。意識しないと平和は守れないことを伝え続けたい」と思いを新たにしている。

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