香川県高松市の国立ハンセン病療養所「大島青松園」にある社会交流会館の歴史展示室は、「生きる~支えあって、生きてきた~」という言葉を入口に掲げる。2019年4月に開室したこの展示室は、大島初の学芸員として2018年から働く都谷禎子さん(51)が一から準備を手がけた。
都谷さんは、島で知った入所者の願いは「かわいそうと思ったり、同情したりしてほしいわけじゃない」ことだったと語る。開室にあたり、国による強制隔離の歴史と同じくらい、多くの人に触れてほしいと感じた思いを大切にした。「小さな島でキラキラと生き抜いてきた。その生きざま、支え合う魂の美しさを伝えなければ、入所者に報いることができない」と都谷さんは話す。
ハンセン病問題との出会い
都谷さんがハンセン病問題を知ったのは社会人になってから。1996年の「らい予防法」廃止や2001年の熊本地裁判決などのニュースに触れ、疑問が湧いた。「重大な人権侵害」にもかかわらず学校で習った記憶はなく、「何も知らなかったことが恥ずかしい」と感じ、書籍で学び国立ハンセン病資料館にも足を運んだ。
2011年からは「平和祈念展示資料館」(東京都)で働き、第二次世界大戦末期や終戦直後に関する調査を担当。召集令状を受け取った人やシベリア抑留・満州からの引き揚げ経験者の思いを聞き取ってきた。簡潔な教科書の記載からは想像もつかないほど「歴史」は詰まっており、「表に出にくい悲惨な思いをしている人たちがいる」と実感した。
大島での学芸員として
ハンセン病元患者の境遇を知りたいと思っていた2017年、大島で勤務する学芸員の求人を見つけた。「曽我野一美さん(故人)を始めとする、元患者による運動のリーダーを多く生んだ地は、きっと働きがいがある」と迷わず応募し、2018年3月に着任した。
完成した歴史展示室は約110平方メートル。入室すると時計回りに「入る」「祈る」「集まる」「働く」「熱中する」「眠る」の六つのテーマに沿い、入所から最期まで学べる構成。写真や文章で大島を紹介し、手足が不自由な入所者が食事に使う自助具や義足、スプーンで碁石を並べて遊んだ囲碁道具一式などが並ぶ。入所者の私物を収めたミカン箱二つほどの大きさの「大島たんす」(高さ約70センチ、幅約40センチ、奥行き約80センチ)もある。
都谷さんは「大島には宗教施設や火葬場、納骨堂まであり、一生を送らせるための設備がある」と説明。展示を通じて一般的な療養所との違いが一目瞭然にわかるようにし、大島たんすは「大部屋の雑居生活で、プライバシーがなかった象徴です」と語る。
入所者との交流と未来への記録
大島の学芸員になって8年間、入所者と接し、それまで抱いてきた「かわいそう」は一面的だと痛感した。「温かく、明るく、極限状態を生き抜いてきた強さが笑顔の奥にある。色々な悲しみを乗り越え、こんなにも優しくなれるんだと感じた」と都谷さん。
入所者の生活を未来に残そうと、日用品を資料として追加し、使用時期などを聞き取って紹介。一人一人の半生にも耳を傾け、資料のデジタル化や関連ウェブサイトの充実に取り組む。入所者自治会の歴史をまとめた記録は、書籍「閉ざされた島の昭和史」(1981年発行)以降、出ていない。「『昭和史』の補完をしながら、入所者が生きた時代をきちんと記録していきたい」と都谷さん。入所者の涙も笑顔もわかる記録を、学芸員の集大成の仕事にするつもりだ。



