2026年ワールドカップ(W杯)北中米3カ国大会は、日本時間7月16日に準決勝までを終え、104試合のうち残るは3位決定戦と決勝のみとなった。史上最多の48チームが参加し、スタジアムはほぼ満員、試合内容も充実しているが、大会最大の汚点となったのが、退場処分を受けた米国代表FWフォラリン・バログンが次の試合に出場を認められた問題だ。
発端は一枚のレッドカード
現地時間7月1日、決勝トーナメント1回戦のボスニア・ヘルツェゴビナ戦後半、バログンは相手選手との競り合いで相手の足首付近を踏み、一発退場となった。ブラジル人主審は当初反則を取らず、VAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー)が介入し、主審がピッチ脇のモニターで確認した結果、レッドカードが出された。
米国はこの試合に2-0で勝利したが、通常ならバログンは6日の決勝トーナメント2回戦、ベルギー戦は出場停止のはずだ。これは今大会の規定にも明記されている。しかし5日になって、大会を主催する国際サッカー連盟(FIFA)は、バログンの出場停止処分を1年間猶予すると発表した。この時点で詳しい説明はなかった。
トランプ大統領の電話介入
これに関連して、米国のドナルド・トランプ大統領がFIFAのジャンニ・インファンティノ会長に電話し、バログンの出場停止処分が不当だと訴えていたことも明らかになった。ベルギーのサッカー協会は反発し説明を求めたが、FIFAの上訴委員会は試合当日の6日、「ベルギーには訴える権限がない」と発表した。
さらにFIFAは規律委員会の委員長声明として同日、13項目にわたる文書を出し、出場停止猶予の正当性を主張した。しかし、なぜ既に退場処分を受けた選手が次の試合に出られるようになったのか、具体的な説明はなされなかった。結局バログンはベルギー戦に先発出場したが、チームは精彩を欠き1-4で敗退した。
インファンティノ会長は昨年12月、自らの発案で新設したFIFA平和賞をトランプ大統領に授与するなど、2人はかねて親密な関係とされる。一連の動きを見ると、トランプ大統領が自らの政治的影響力を行使し、FIFAがこれに屈した形に見える。国際スポーツ団体の政治権力からの独立性に疑問を抱かせるゆゆしき事態だ。
世界中から非難が起こり、インファンティノ会長はSNSに「FIFAの司法機関は独立しており、規定にのっとって決定を下している。私は決定に同意するときも、しないときもあるが、機関の決めたことは常に尊重する」と投稿して釈明する事態となった。
大統領の主張とサッカー界の常識
「スポーツをよく知っている」と自任するトランプ大統領は6日、ホワイトハウスで記者団に、バログンの退場について「ひどい判定だと思った」と語ったが、退場になれば自動的に次の試合は出場停止になるというサッカー界の常識は知らなかったことを認めた。
試合の映像を見ると、確かにバログンのプレー自体は、足首を踏んでいるものの、視線は前方を見ており、故意の反則でないことは明らかだ。ただ、結果的に相手選手の足首は踏まれたことで不自然にねじ曲げられており、大きなケガにならなかったのは幸いだったが、危険なプレーだったことも事実だ。「反則ですらなかった」という大統領の主張はやはり無理がある。
問題の本質はそこではない。「バログンは我々の一番良い選手だが、レッドカードを受けた。それでFIFAに見直しを要求した」と大統領は言う。判定に納得がいかないからといって、一国の元首が、公平であるべき競技団体の長に働きかけを行う。「自分は、どうしろとは言っていない」と、出場停止猶予はFIFA側の判断と強調したが、電話をすること自体が問題だという認識が大統領にはない。
また、大統領はブラジル人主審について、「彼の過去を調べると、少々疑わしい」と問題点があることを示唆したが、ブラジルサッカー連盟やFIFAの側から一蹴されている。
FIFA会長は「政治的アクター」に
明治大の釜崎太教授(スポーツ社会学)は、FIFA規律委員会の説明は、ベルギーが所属する欧州サッカー連盟(UEFA)が6日に出した処分留保に強く異議を唱える声明に比べて、「説得力に欠ける」と批判。トランプ大統領とインファンティノ会長の関係については、2016年に会長が就任した経緯に注目する。
ゼップ・ブラッター前会長は、その前年に明るみに出たFIFAを巡る汚職事件で失脚したが、きっかけとなったのは米国の司法当局による捜査だった。「FIFAのような組織に影響を与えるには大きな力がいる。UEFAとの内部政治の駆け引きもある。だから、米政府との良好な関係を築いておくことは、FIFAにとって大きい」というわけだ。その結果、現会長は「自分から政治的なアクターになろうとしている。今までのFIFA会長は、(政治勢力からの)自立の理念は保とうとしていたが、そこが大きく違う点」と釜崎教授は指摘する。
フランス・リーグのモナコでプレーし、日本代表の南野拓実のチームメートとして日本でも知られるバログンは、ナイジェリア人の両親の米国滞在中に生まれたことから、ロンドン育ちにもかかわらず、米国籍を取得したという経歴を持つ。トランプ大統領は、米国で生まれた子どもには両親の国籍に関係なく米国籍を与える「出生地主義」について、不法移民の流入を助長するなどとして、昨年1月にこれを認めない旨の大統領令に署名。しかし、今年6月に連邦最高裁によってこの大統領令は無効とする判決が出されている。大統領の考えによれば、米国籍を得るべきではなかったはずの選手に対し、この一件では特別な措置を求めたことになる。
出入国を巡るトラブルと政府保証の問題
米政府の施策が今回のW杯に関して議論を呼んだ例は、バログンだけではない。開幕前、大会をさばく審判団の一員であるソマリア人の国際主審が、入国を拒否され、1試合も笛を吹くことなく帰国を余儀なくされる事態があった。昨年のアフリカ最優秀審判に選ばれた人物だ。
また、予選を突破したイラン代表チームについては、昨年12月の抽選の結果、米国内で3試合を行うことが決まったが、大統領はイランへの軍事攻撃を開始した後の3月、「彼らの生命と安全のためには、ここに来ることが適切だとは思わない」と述べた。結局、イランは大会期間中の滞在先をメキシコに変更し、試合のたびに米国への入国、出国を繰り返した。その結果、1次リーグの3試合すべてで引き分け、組3位となったが、得失点差でわずかに及ばず、決勝トーナメントに進めなかった。
W杯の開催を希望する国には、招致の段階でFIFA側から、大会関係者に対してビザの発給、出入国などを円滑に行うことや関連業務の免税などについて、政府の保証が求められるのが通例だ。これについて、電通出身で2002年W杯の招致活動に取り組むなどFIFAに詳しい広島経済大の浜口博行教授(スポーツ経営学)は、「日本も政府保証を取り付けるのは大変だった」と当時を振り返り、「今回は、3か国共催になった経緯がよく分からないし、政府保証に関するやり取りはどうなっていたのか」という。
トランプ大統領には出入国に関して厳しい姿勢を見せたい意図があり、好ましくないと思う国の関係者は入れたくなかったのかもしれないが、浜口教授は、「大統領は中間選挙を控えて、国内のトランプ支持者しか見てない。いかに威勢のいいことを言って、自分が健在で力があり、いろんなことを解決できるかをアピールしたい」という。
2028年LA五輪への影響懸念
そして、これはサッカーの最高峰の大会であるW杯だけに限った問題ではないかもしれない。2年後にはロサンゼルスで夏季五輪が開かれる。W杯の参加チームは48だが、夏季五輪は前回パリ大会の参加国・地域が難民選手団を含めて206。その参加者の出入国を米政府が恣意的に判断することになれば、混乱を招くことも予想される。
スタジアムの規模や練習施設の充実ぶり、ボランティアの質の高さなど、米国には、さすがスポーツ大国と思わせる底力があるが、現在の政権下で国際的なスポーツイベントを開催することはふさわしいのか。浜口教授は、「米国の統合にスポーツが果たす役割は大きい。その象徴が五輪で、表彰台の真ん中に星条旗が揚がると、白人、黒人、中南米系、アジア系も『さすがアメリカだ』と一つになる。五輪ではもっと大変なことが起こるのではないか」と、さらなる政治介入の恐れもあると指摘する。
強まるFIFAへの不信感
記者がもう一つ心配なのは、今回のバログンの件が残したFIFAへの不信感だ。米国―ベルギー戦の翌日に行われた決勝トーナメント2回戦、アルゼンチン―エジプト戦の最終盤、2-0のリードから3点を奪われて大逆転を喫したエジプトのハッサン監督が、顔の前で両手を交差させるポーズを見せた。あまり知られていないが、これはスタジアム内で人種差別的な言動が試合中にあった場合、主審が行うポーズで、FIFAが定めたものだ。そうした言動があった場合、主審は最初にこのポーズを取って試合を止め、それでも差別的言動がやまなければ、一時的に選手を引き揚げさせる。さらに続く場合は試合を中止する、という3段階の手続きを取ることが決まっている。だから、監督がこうしたポーズを取ること自体が、実際の試合の運営に直接影響を与えることはない(ハッサン監督はこのジェスチャー後、警告を受けた)。
ただ、この試合では、エジプトの2点目と思われたゴールが、VARの介入後に反則があったとして取り消されるなど、アルゼンチン側に有利と思える判定がいくつかあった。それでイライラを募らせていたハッサン監督が、逆転されたことをきっかけに怒りを爆発させたように見えた。実際、監督は試合後の記者会見で、「試合結果は、FIFAが支持すべきフェアプレーからはほど遠いものだった」と話した。「審判団が、大会最大のスターであるリオネル・メッシ率いるアルゼンチンをできるだけ大会終盤まで残したいというFIFAの意向をくんで、エジプトに不利な判定を繰り返した」と考えていた可能性は高い。
その不信感の一因となったのが、政治的な圧力に屈していると映るFIFAの姿勢にあったとしたら、問題は深刻だ。この試合の後、日本でもおなじみのFIFA審判委員長、ピエルルイジ・コリーナ氏は、「W杯審判団の高潔性には疑う余地はなく、判定は誰からの影響も受けない。たとえFIFA会長であってもだ」と、FIFAの公式サイトでわざわざ弁明せざるを得なかった。
損なわれるサッカーのイメージ
「サッカーは世界に40億人のファンがいると言われていて、競技人口、ビジネス規模、テレビの視聴データ、すべてに圧倒的なNO1スポーツ。他競技に範を垂れるべきサッカーで、スポーツ大国の米国で、なぜこういうことが起きるのか。サッカーのイメージが壊れるし、スポーツへの世界の期待感を大きく裏切るもの」と浜口教授は言う。
バログンの件に関して、インファンティノ会長の出身母体でありながら、現在は対立関係にあるUEFAは、「一線を越えた」と厳しく批判し、米国に入国できなかったソマリア人主審を8月に行われるUEFAスーパー杯の担当に指名するという形で、連帯を表明した。欧州の著名な元選手からも、会長の辞任を求める声が相次いでいる。



