神奈川県鎌倉市の大船駅と藤沢市の湘南江の島駅を結ぶ湘南モノレール江の島線(全長6.6km)が、2025年7月2日に全線開通55周年を迎えた。世界的にも珍しい懸垂型モノレールとして親しまれるこの路線だが、その歴史を紐解くと、江の島との意外に深い繋がりと、幻に終わった延伸計画が浮かび上がる。
戦前からあった江の島モノレール計画
湘南モノレールの終点・湘南江の島駅は、駅ビル5階にホームがある珍しい構造で、ルーフテラスから江の島を一望できる。多くの利用者が「このまま江の島島内まで延伸されれば便利なのに」と想像するが、実はこの構想は戦前・戦後の2度、具体化しかけたことがある。
最初の計画は1927年3月、現在の江ノ島電鉄(江ノ電)が片瀬海岸と江の島島内を結ぶロープウェーの敷設免許を申請したことに始まる。同年8月には懸垂型モノレールに計画を変更し、翌年7月に免許を取得した。当時、国内にモノレールは存在しなかったが、1901年に開業したドイツのヴッパータール空中鉄道が参考にされた。同鉄道は狭隘な地形ゆえ川の上空を利用した全長約13kmのモノレールで、現在も現役である。
しかし、江ノ島電鉄は本業への投資を優先し、別会社による運営を模索。新会社は「江ノ島懸垂電気鉄道」「日本懸垂電気鉄道」などと社名を変えながら計画を進めたが、地元住民の猛反対と技術的問題により幻となった。
戦後再浮上したモノレール構想
1960年代、高度経済成長期の交通渋滞を背景に、モノレールが再び注目された。当時、日立製作所が跨座型「アルヴェーグ式」を導入したのに対抗し、三菱グループ主導の日本エアウェイ開発がフランスの懸垂型「サフェージュ式」を採用。1962年10月、片瀬西浜と江の島島内を結ぶ約770mのモノレール免許を申請した。
この計画は、江の島の観光開発や東京オリンピックのヨット競技会場化への期待が背景にあった。しかし、神奈川県の内山岩太郎知事と島民の猛反対に遭い頓挫。戦前に続き、再び幻となった。
現在の湘南モノレール建設へ
その後、日本エアウェイは名古屋の東山公園モノレール(全長471m)を開業させたが、サフェージュ式の優位性を示せず。一方、日立陣営は1964年に東京モノレール羽田線を開業し、モノレールを本格的な都市交通として確立した。
危機感を抱いた日本エアウェイは、大船~片瀬間の京浜急行自動車専用道路上にモノレールを架ける斬新な構想を打ち出した。用地費抑制と輸送需要を期待し、現在の湘南モノレールが建設された。しかし、着工後は用地買収の難航や、懸垂型モノレールとして世界初のトンネル掘削(鎌倉山・片瀬山)など困難を極めた。
なお、現在の湘南江の島駅は当初途中駅の位置づけで、さらに海寄りに江の島海岸駅を設置する計画があったが、用地確保が難しく1986年に延伸を断念した。モノレールの江の島への道のりは、どこまでも遠かったのである。



