鉄道写真家の南正時氏は、国鉄時代の気動車急行にまつわる思い出を、蒸気機関車(SL)撮影の記憶と重ねて語る。昭和40年代半ば以降、現役末期のSLを撮影する旅でお世話になったのは、気動車急行だった。当時の「周遊券」は急行列車の自由席を利用でき、昼行の列車はもちろん、夜行の急行も数多く走っていた時代である。
気動車の長所を発揮した多層建て列車
南氏が特に思い出深いと語るのは、複数の行き先の列車を併結した「多層建て列車」の存在だ。電化区間も非電化区間も直通可能で、短編成から長編成まで自在に組める気動車ならではの列車だった。
多層建て列車が多かったのは東北地方である。例えば、仙台―新潟間を東北本線・磐越西線経由で結んだ急行「あがの」がある。運転パターンは複数あり、一例を挙げれば、新潟から磐越西線を通り、途中の会津若松で会津線・只見線からやってきた急行「いなわしろ」を併結、さらに郡山では水戸からの急行「いわき」を併結して電化区間を仙台まで向かうという複雑な運用だった。
只見線の急行「いなわしろ」には普通列車用のキハ23形も使用された。また、キハ55系を先頭に磐越西線を走る急行「あがの」と「いなわしろ」の併結編成も見られた。
私鉄気動車も連結した多層建て列車
南氏によれば、国鉄気動車急行の中には、私鉄の気動車が連結されることもあったという。このような多層建て列車は、現在では考えられない複雑なルートの長距離列車であり、ローカル線の花形として地域を盛り上げた。
気動車急行は、非電化区間が多い地方路線で重要な役割を果たし、利用客にとっては長距離移動の足として、鉄道ファンにとっては多様な車両や運用を楽しめる存在だった。



