国鉄時代、全国各地の地方都市を結ぶ役割を担っていたのは主に急行列車であり、中でも気動車による急行は、非電化区間が多かった時代に電化区間と非電化区間を直通できる機動力を活かし、全国の津々浦々を結んでいた。行き先が異なる列車を複数連結した「多層建て急行」も存在し、気動車の柔軟な運用が生かされた。本稿では、国鉄時代を中心に「気動車急行」について振り返る。
気動車急行の代名詞「キハ58系」
国鉄では戦前からローカル線を中心に気動車を運行していたが、本格的な優等列車用気動車は戦後に登場した。その先駆けは1956年のキハ55系で、当初は東武鉄道と競合していた日光線の準急「日光」に投入され、その後各地の準急列車に広がった。当時は準急(1968年廃止)が優等列車の一角を担っており、気動車時代の幕開けとなった。
そして、本格的な気動車急行時代の到来を告げたのがキハ58系である。急行用として客車と同等以上の設備を備え、1961年からシリーズで1800両以上が製造された。幹線からローカル線まで全国の急行列車網を支え、気動車急行の代名詞と言える傑作車両である。
気動車の長所を生かした「多層建て列車」
気動車の最大の長所は、電化・非電化を問わず走行でき、短編成から長編成まで自由に連結できる点にあった。この特性を生かし、行き先の異なる複数の列車を連結した「多層建て急行」が運行された。例えば、同じ線路を走る区間では一つの列車として運転し、途中駅で分割してそれぞれの目的地へ向かう方式で、運行効率を高めていた。
こうした列車は、現在では考えられない複雑なルートを設定することも可能にし、地方の利用者にとっては大都市へのアクセス手段として重宝された。しかし、分割・併合には駅での時間調整や乗務員の手間がかかり、合理化の流れの中で次第に姿を消していった。
大都市からローカル線への直通
気動車急行は、大都市とローカル線を直通する役割も果たした。例えば、東京や大阪などの大都市圏から、非電化の地方路線へ直通する急行列車が多数設定され、利用者は乗り換えなしで目的地に到達できた。これにより、地方の観光地や温泉地へのアクセスが向上し、地域経済の活性化に貢献した。
また、夜行の気動車急行も存在し、長距離移動の手段として利用された。車内は簡易な寝台設備やリクライニングシートを備え、長時間の旅を快適にする工夫が施されていた。
目まぐるしく風景の変わる旅
気動車急行の旅は、車窓の変化が魅力の一つだった。非電化区間では、ディーゼルエンジンの音とともに田園風景や山間部を走り、電化区間に入ると電車と同様の加速で都市部を駆け抜ける。車両によっては、進行方向の景色が一変する体験ができた。
鉄道写真家の南正時氏は、「気動車急行は、まさに『ローカル線の華』だった。特にキハ58系の独特のエンジン音と、地方ならではの風景が忘れられない」と語っている。
「ローカル線の華」だった気動車急行
しかし、国鉄の分割民営化や新幹線網の拡大、高速バスの台頭などにより、急行列車は減少の一途をたどった。特に気動車急行は、特急列車の増発や電化の進展により、その役割を縮小していった。現在では、JR線上から「急行」の種別はほぼ姿を消し、一部の臨時列車を除いては見ることができない。
それでも、かつて全国を駆け巡った気動車急行の記憶は、鉄道ファンや地域住民の心に残り続けている。キハ58系をはじめとする気動車急行は、日本の鉄道史において、ローカル線を支え、人々の移動を担った重要な存在であった。



