「ラヴ上等」炎上で小原ブラス氏「批判と誹謗中傷は違う」と指摘
「ラヴ上等」炎上 小原ブラス氏「批判と誹謗中傷は違う」

動画配信大手Netflix(ネットフリックス)の番組「『ラヴ上等』シーズン2」がSNSなどで炎上している。8月4日から配信が始まったこの番組は、過去にヤンキーとして生きてきた男女が14日間の共同生活を送りながら、本気の恋を探す「恋愛リアリティーショー」だ。これまで、ありとあらゆる恋リアを見て人生の時間を潰すことが趣味の私は、もちろんシーズン1(2025年12月配信開始)から見ている。シーズン2で問題になったのは、出演者が番組内で過去の犯罪行為を打ち明ける場面で、「人に火をつけたことがある」と語ったシーンだ。犯罪行為をエンタメとして扱うのは、被害者への配慮が足りないのではないか――。炎上の中心にあるのは、そこだろう。

法務省のタイアップ中止

さらに、火に油を注いだのは、法務省が番組とタイアップして作った「更生保護」のポスターだ。「更生上等!! 立ち直りって、ラヴだ」という、あまりにポップな表現である。これが「過去の犯罪や非行を軽んじ、美化している」と受け取られ、「更生を舐めるんじゃないぞ」と反発を大きくした。結局、法務省は8月21日、番組とのタイアップを取りやめると発表した。

もちろん、シーズン1から続く「ラヴ上等」の根本的な方向性がシーズン2で急に変わったわけではない。両シーズンとも、不良と呼ばれてきた過去を持つ男女が、恋愛や友情を通じて成長していくという内容だ。シーズン1にも、元暴走族総長、元ヤクザ、少年院経験者などが参加していた。

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被害の実態が具体的に示された

ただ、今回のシーズン2では、彼らがやってきた「ヤンチャ」による被害の実態が具体的に示された。そこが大きい。「昔は悪かった」でぼかされていた行為に、実際に傷ついた被害者の姿を想起させる輪郭が与えられた。だから視聴者の怒りに火がついたのだと思う。

過去に罪を犯した人が、恋愛や仲間との出会いを通じて前向きに生きようとする。別にそれ自体を否定したいわけではない。人は変わっていいし、変わろうとする人を支える社会であるべきだ。でも、過去の犯罪歴が恋愛リアリティーショーへの出演によって、お金になり、知名度アップになり、SNSのフォロワー数増になり、その先の仕事につながる。犯罪をした過去があるからこその“栄光”となって、これでは過去の罪を完全に肯定してしまう。その構図に怒りを覚える視聴者がいるのは当然ではないか。まして、犯罪や非行の加害者側が恋愛をして楽しそうにしている番組を、法務省が「更生」として応援する。被害者はその光景をどう見るのか。そこへの想像力が、あまりにも足りない。

MEGUMIさんの注意喚起がさらなる炎上を招く

そればかりか、火消しに走った企画・プロデュースを手がけるMEGUMIさんがインスタグラムで行った注意喚起が、さらに燃料を投下することになった。「出演者への誹謗中傷や心ないコメントをやめてほしい」「出演者たちは過去も現在もさらけ出し、覚悟を持ってこの番組に参加してくれた」「傷つける言葉を投げかけず、一人ひとりを尊重し見守ってほしい」。そういう趣旨のメッセージだった。

出演者個人への脅迫や、容姿、出生、性別、人種など、本人が変えようのない部分をネタに暴言をぶつけることは論外だ。存在そのものを否定するような、攻撃的な言葉も当然ダメだと思う。でも、今回ネットで見かけた意見の多くは、本当に「誹謗中傷」だったのか。私は疑問に思う。

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「『更生上等!!』というポスターは、更生を軽く扱いすぎではないか」「被害者のいる過去を持つ人が、恋愛や仲間との出会いで前向きになった姿を見せて『更生上等!!』とはいかがなものか」「法務省がそれを応援して、被害者はどんな気持ちになるのか」――こうしたコメントは、「誹謗中傷」ではなくれっきとした「批判」だろう。出演者についても、人に火をつけた過去を反省し後悔していると言いながら、番組では他の出演者と取っ組み合いのけんかをし、ワルであることを売りにしているように見える。そうした言動に対して「反省してる人の態度じゃねーよ」と感想を言うことまで、誹謗中傷として扱うのか。

たとえば「人として最低なやつ」とネットに書くことは、攻撃的な印象が強く、言い方は見直したほうがいいと思う。かといって、少なくともその人の発言や行いに基づいているのだから「誹謗中傷」と決めつけるのは違うのではないだろうか。人の怒りを焚きつけるような言動をしておいて、想定される批判まで「やめてください」と言うのも、おかしな要求に見える。

他にも「タトゥーをやっているようなやつはやっぱりバカだ」という乱暴な発言でさえ、道徳的に褒められたものではなくても、即座に「誹謗中傷」とラベルを貼る話ではないと思う。タトゥーを入れるのはその人が選択してやったことなのだから。誰かの行為や表現への反発と、相手を社会から消そうとするような攻撃は、同じではない。

恋愛リアリティーショーの構造的な問題

昨今のコンプライアンスは、この誹謗中傷と批判の区別をしないまま、なんでも「誹謗中傷はやめてください」になりがちだ。その曖昧さが余計に火に油を注いでいる。MEGUMIさんの注意喚起が多くの人の逆鱗に触れたのも、そこだと思う。「お前らもよく分かってねーくせに、何偉そうなこと言ってんだ」と。

そもそも恋愛リアリティーショーは、ずっと変な状態にある。出演者の女性が亡くなった「テラスハウス」(フジテレビ)の一件以降、「番組側は出演者を守るべきだ」という価値観が広まった。それ自体は当然のように見える。人の命が関わると、とたんに思考停止して命第一みたいになるのは日本社会の特徴だ。しかし実態として制作側は、出演者が悪く見えないように配慮している顔をしながら、番組を面白くするために脚色もする。「演出なしのリアルです」と言いながら、「でも、それが演出なのはわかってるよね?」と視聴者の理解を期待している節がある。だったらいっそ「フィクションです」と言い張ればいい。でも、そんなことをすれば数字につながらない。あくまでリアルであるという体を取るからこそ、視聴者の興味をひく。恋リアでバズった出演者は、注目を集めてSNSフォロワーが増える。その知名度を利用して以降も安定して稼ぐことができる。SNSでお金を稼ぎたいから、有名になりたいから恋リアに出る。制作側と出演者の利害が一致したそんな仕組みになっている。

私はメディアに出て活動する人間として、だったら恋リアの毒の部分も出演者はちゃんと受け入れろよ、と思う。恋リアに出るということは、良くも悪くも脚色された自分が“ノンフィクション”として世に出されることなのだ。本意ではない発言や行動であっても、その人自身の人格として受け取られ、当然それに伴う責任を負うことになる。「そんなつもりじゃなかった」「過剰な演出だった」「勝手に切り取られた」などと思うこともあるだろう。でも、ネタばらしで逃げるわけにもいかず、批判は甘んじて受け入れなければならない。そうでなければ、「リアリティー」を売りにした番組の仕組みそのものが成り立たない。おいしい蜜だけを吸うことなんてできないのだ。そんな責任を負う覚悟もなく、ノンフィクションだと言う勇気もないくせに、視聴者の配慮に期待してるんじゃないよと言いたくなる。

私だってテレビ番組に出て、バランスを取るために、自分が本来立ちたい側ではない立場から発言することだってある。それでも後から「番組を盛り上げるために言っただけで、本心ではありません」なんてダサいことを言うつもりはない。そんなことを言い出したら、見る価値のない人間に堕ちる。メディアに出るとは、そういうことだ。

もちろん、脅迫を受けた場合の対応などある程度の心のケアも必要かもしれない。でも、恋リア番組がやるべきことは、出演後に出演者を批判から守ろうと躍起になることでも、世間に批判されなさそうな配慮ある表現を心がけることでもないと私は思う。そんなことを心がけているふうに装っているから、出演者も何かあったら制作側に守ってもらえると甘えた考えで出演するのだ。それだったらいっそ出演前に、出演する覚悟を決めることに力を注いだほうがよっぽど健全なのではなかろうか。フォロワーを増やしたい程度の甘い気持ちで出られる場所ではない。覚悟のない人間を恋リアに簡単に出してはいけないのだ。出たからには、良くも悪くも自分が商品になる。そのリスクは自己責任で引き受ける。不特定多数から注目を集めることは、そういう“悪魔の契約”なのだと理解しなければならない。番組も出演者も批判を受ける覚悟で、配慮の足りない人の目をひきつける過激な番組を作ればいいのだ。その覚悟がないなら、やめちまえ。(タレント 小原ブラス)