1977年の全日本選手権で、山下泰裕選手は「四強」と呼ばれた強豪たちを破り、初優勝を飾った。当時の強豪の一人は後にこう語っている。「遠くに山下っていう次代の人材がいる。俺らの引退後はあいつの時代になるかもと思っていたら、ハッと振り返ったらもうぴたりと背後についていた。一人が敗れたらその瞬間に我々は抜かれ差が広がっていった」と。
世界選手権初出場と中止の衝撃
同年9月、スペインで開催予定の世界選手権の代表に選ばれた山下選手。しかし、開幕直前に国際柔道連盟が突然の中止を決定した。1977年の柔道世界選手権は、スペインが台湾選手団の入国を拒否したため政治問題化し、中止となったのだ。
山下選手は「知った時はぽっかり心に穴が開いた感じではありましたが、引きずらなかった。伸び盛りで自分の柔道がまだ発展途上だったため、次があるという気持ちもあったのだろうと思います」と振り返る。
痛恨のミスと最後の敗戦
しかし、直後の全日本学生選手権体重別決勝で、試合中に勝敗を計算して手加減するという痛恨のミスを犯し、高校時代のライバルに判定負けを喫した。これが16敗目、現役時代最後の敗退となった。
その後、山下選手は「四強」との再対決となった1978年の全日本選手権でオール一本勝ち。1979年の全日本でも再び遠藤純男選手を決勝で下し、公式戦203連勝(柔道の最多連勝記録としてギネス世界記録)に至る連勝が続いた。「山下の柔道」が完成に近づき、全盛と言われた時期だった。



