Jリーグの外国籍選手にブラジル人が多い理由は、サッカーとは無関係に見える100年にわたる日系移民史に根ざしている。スポーツライターの木崎伸也氏は著書『サッカーと地政学』で、この歴史的つながりが日本サッカーに計り知れない財産をもたらしたと指摘する。
ブラジル人が過半数を占めるJリーグの現状
Jリーグ公式サイトによると、2025年シーズン(1月23日時点)の外国籍選手は177人。うちブラジル出身が91人と過半数(51%)を占め、韓国35人、スペイン6人、タイ5人が続く。一方、移籍サイト「transfermarkt.com」によれば、プレミアリーグの25-26シーズンにおけるブラジル人選手の割合はわずか8%(388人中31人)で、フランス40人、オランダ36人などが上位を占める。この顕著な差の背景には、日本とブラジルの深い歴史的絆がある。
笠戸丸移民から始まった日系ブラジル人コミュニティ
すべての始まりは1908年、サンパウロ州のコーヒー農園へ781人が渡航した「笠戸丸移民」だった。当時の日本は人口増加と食糧難に直面し、1924年以降は移民政策を国策として推進。1933~34年には年間2万人がブラジルへ渡った。戦争による中断を経て1952年に移民事業が再開され、1993年まで継続。現在、日系ブラジル人は約270万人に上り、海外の国別日系人ランキングで首位である。
日本サッカー初の外国籍選手ネルソン吉村
このブラジルとのつながりが日本サッカーにもたらした最初の成果は、1967年のネルソン吉村の獲得だった。早稲田大学を卒業した釜本邦茂がヤンマーディーゼル(現セレッソ大阪)に入団した際、同球団の山岡浩二郎部長は釜本にパスを出せる選手が必要だと考え、ブラジル・サンパウロのヤンマー系列会社を通じて日系ブラジル人選手の発掘を依頼。選ばれたのはサンパウロの日系2世でアマチュアリーグでプレーしていた19歳のネルソン吉村で、日本リーグ初の外国籍選手となった。
ネルソン吉村と釜本が築いた黄金期
ネルソン吉村と釜本の活躍により、ヤンマーに黄金期が到来。1969年1月の天皇杯優勝を皮切りに、天皇杯優勝3回、準優勝5回、リーグ優勝4回、2位4回という圧倒的な成績を残した。この成功が、以後の日系ブラジル人選手獲得の先例となり、日本サッカーに個人技文化を根付かせるきっかけとなった。
多様性が組織を強くする
木崎氏は、この歴史的な移民の流れが日本サッカーに多様性をもたらし、組織を強くしたと結論づけている。ブラジル人選手の個人技は日本サッカーのスタイルに大きな影響を与え、国際舞台での競争力向上に貢献してきた。



