和歌山市にある磯の浦ビーチが、サーファー文化の発信地として再び注目を集めている。日本のサーフィン黎明期から通い続け、近くでサーフショップを経営する鍵岡哲明さん(76)は50年以上にわたりビーチの変遷を見守りながらクリーン活動に取り組んできた。仲間とともにサーファーが海から上がる際にごみを拾う活動を磯の浦から全国のビーチに広げている。
サーファーによる清掃活動
8月15日朝、磯の浦ビーチには海水浴客だけでなく、サーファーたちの姿があった。目当ての波に合わせてボード上に立って繰り返し滑走。その後、浜辺に落ちたペットボトルや弁当の空き箱を拾ったり砂に混じったマイクロプラスチックを網ですくい取ったりした。
鍵岡さんは「多くの友人ができたサーフィンをさせてくれた海への感謝をビーチクリーンを通じて示したい」と話す。
サーフィンとの出会い
和歌山市生まれで幼い頃から海に親しんだ鍵岡さんがサーフィンを知ったのは中学3年のときだ。米ロックバンド「ザ・ベンチャーズ」の楽曲を聞き、「サーフィンをやってみたい」と親に頼んだものの、当時はサーフボードの入手が困難だったという。
20歳になって念願のボードを手に入れ、磯の浦でサーフィンを始めたのが昭和45年のゴールデンウイークでまだ肌寒かったことを覚えている。ブームが訪れたのは50年ごろになってからといい、「周囲にサーフィンをしている人はいなかった」と振り返る。すぐに魅力に取りつかれ、サーフィン中心の生活に。「休みになれば半分はアルバイト、半分は県内外のサーフスポット探しに出かけた」。
大学卒業後は貿易会社に就職するも、サーフィンの時間を確保したいと自営業を営んでいた実家の2階を改装、48年に和歌山市内中心部でサーフショップを開いた。その後、磯の浦へ移転し20年以上ショップを経営している。
ビーチクリーンの広がり
磯の浦ビーチは一時、サーフボードを持つ若者らであふれていたが、近年は「昔からやってみたかった」と大人になって挑戦する中高年世代も多く訪れるそうだ。鍵岡さんは「自然の中では、全く同じ波は来ないし同じ条件で待つこともない。その時々で波と向き合うことになる」とその魅力を語る。
鍵岡さんが日ごろから大切にしているのが、海への感謝を込めておこなっている「ビーチクリーン」の活動だ。鍵岡さんの姿に影響を受けたサーファーらが令和5年にビーチクリーン団体「OCEAN BLUE 530(ゴミゼロ)」を設立。毎週のように磯の浦で清掃活動を行う。約30人ほどが所属しているが、活動はゆるやかな人間関係でつながりながら、自主的にゴミを拾うなどしている。
全国のビーチでも考えに賛同する人々が現れている。これまでに三重県の伊勢志摩や、神奈川県の湘南、茨城県の大洗の各ビーチでもそれぞれゴミゼロ活動が行われているほか、スポンサー企業によってゴミ袋などが提供されているという。
最近では、サーファーがサーフボードを抱える腕とは別の空いた手で一つでもごみを拾う「ワンハンドビーチクリーン」活動として、さらなる広がりも見せている。同団体では、英語でワンハンドビーチクリーンと記したオリジナルステッカーを制作。ボードに貼ることで、ごみを拾う気持ちを忘れないようにとの思いが込められ、既に7000枚を配布した。
同団体の会長、八尾憲二さん(63)=堺市中区=は「磯の浦をホームとしてサーフィンをしてきた一人として、きれいな海を次世代に残していきたい」といい、「ワンハンドビーチクリーンを自然に行えるようなサーファー文化を定着させたい」と意気込む。(小泉一敏、写真も)



