中学受験後の自分はどうなる?桜井信一が語る不安との闘いと親の役割
中学受験後の自分はどうなる?桜井信一が語る不安との闘い

夏休みが終わり、中学受験までいよいよ最終段階に入る。サピックスでは9月と11月に本番さながらの「サピックスオープン」が実施される。9月実施分は11月に比べてやや易しいが、それでも本番を意識した内容だ。6年生が春に受けていた公開模試とは難易度が大きく異なり、「偏差値が取れない」と戸惑う子どももいるだろう。

親の説教が招く悪循環

そんなとき、親は「ちゃんとやってる? もう受験はすぐそこだよ。しっかりしてよね」と子どもに言い始める。しかし、それはカレンダーの解説をしているだけに過ぎない。子どもたちは、そんな暇があれば算数や国語の解説をしてほしいと思っている。

ここからはストレスとの闘いだ。そのうっぷんを子どもに向けてしまうと、説教時間によって勉強時間が減ってしまう。悪循環である。そして、その悪循環は誰もが気付いていることだが、感情はうまく操縦できない。私もそうだった。不安が襲ってくるとどうしようもない。何とか受かってほしいという思いからくる不安だと正当化してみても、説教は意味がないどころか逆効果なのだ。

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薬に頼った失敗と悪い結果の想像

そこで私は暴挙に出た。『下剋上受験』(産経新聞出版)を読んで下さった方は経緯をご存じだろうが、薬に頼って精神を安定させようとしたのだ。これがいけなかった。さらに悪化して薬が増えていくだけになる。すると、ぼーっとした状態になり、問題を解くときに集中できない。仕方なく薬を中断すると、なぜか怒りっぽくなったように思い込んでしまう。もう最悪のパターンだ。

ここで偏差値が60を越えて70か、いっそのこと120くらいになってくれれば心は安定する。ゆったりした日々が流れるだろう。そんなことを考える毎日を過ごしていた。

そして、秋になるともう尋常ではなかった。朝方まで予習することもあり、仕事中に寝ていた記憶がある。私は子どもの頃から変な癖がある。ある物事の結果のあとの自分を想像しようとするのだ。例えば野球をしていたとき、メンバー発表の日のあとの自分を想像しようとする。想像には期待が含まれているから、良い結果を想像するはずなのに、悪い結果を想像してしまうときがある。そんなときは、最初から無理だと知っている。それなのに想像しようとするので、想像しかけた瞬間に頭を振って今の想像を吹き飛ばす。すぐにやらなきゃ結果を想像してしまうので、人前でも待ったなしで頭を振ることがある。「どうしたの?」と言われると、「いやあ、チック症みたいなものでね」と誤魔化すが、実はこういう深い事情があるのだ。

「イケる」と踏んだ無謀な挑戦

受験が終わったあとの私はどうしているのだろう。難関中学の保護者になっているだろうか、いや、そんな上手い話はないか……。出版社さんだけが知っている事実だが、私たちの受験には2つの奇跡が必要だった。まずは、難関中学に入学できること。そして、準備した日記を本にして一発当てて学費を捻出すること。どちらもあまりにも無謀だったが、私は「イケる」と踏んでいた。

その理由がまた無茶苦茶なのだ。これまでの自分の人生を振り返った。小学校の時、勉強の大事さを知り損ねた。野球はレギュラーになれなかった。中学生になると直毛の子が羨ましくて、くしで髪の毛を引っ張ったりした。とにかく何事も冴えないやつ。これはおかしい、あまりにも不平等すぎる。そこで成人してからは、毎月あるお寺の長い石段をのぼって手を合わせた。全然効き目がない。教会に変更しても効き目がない。「おかしくないか? ここまで平均値より低いのはアリか?」そう思っていた。

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娘が受験するとなったとき、これまでの不運の数々が走馬灯を早回しレベルに襲ってきた。いま自分は平均の1万メートル下にいる。この辺りで何か起こらないと人生が終わるまでに帳尻が合わなくなる。だからここできっとくる、きっと大爆発がくる。そう信じていた。娘が難関中学の一員となり、出版社から連絡があったとき、「ほらっ、やっぱりきた!」そう思った。しかし、いま平均を少し越えていたりしたら結構マズい。だから、頻繁に頭を振っているのだ。