広島、長崎への原爆投下からまもなく81年となる。全国の被爆者は過去最少の9万1105人(3月末時点)となり、証言活動の担い手も減少する中、今年に入って新たに被爆体験を語り始めた人たちがいる。背中を押したのは、「生の証言」を聞く機会が失われることへの危機感だ。
3歳の記憶を語る園田さん
岡山県玉野市の園田武一さん(84)は6月28日、市立図書館で市民ら約30人を前に自身の被爆体験を語った。この日が「語り部」としてのデビューだった。
3歳の時、広島の爆心地から2キロの友人宅で被爆した。自身は無事だったが、顔にガラスの破片が突き刺さって血だらけになった祖父の姿や、兵隊が自宅周辺で遺体を積み上げて焼く光景が今も脳裏にこびりついているという。
約40年間、岡山県原爆被爆者会玉野支部で原爆展の運営などに携わってきたが、「自分より詳しく覚えている人がいる」と語り部とは距離を置いていた。しかし、支部の活動に関わり始めた時には約170人いた会員は約30人にまで減少。長年語り部を務めてきた90歳代の女性も施設に入っており、活動が難しくなった。今春に語り部を打診され、「自分がやるしかない」と引き受けた。
「核兵器はすごく威力があり、1発で広島市内全体がやられてしまった。二度と戦争はしてはいけないと、つくづく思います」。約10分間の証言をそう締めくくった。会場に足を運んだ玉野市の主婦(66)は「語り部となった勇気や決意をしっかり受け止めないといけないと思った。直に体験した人の話を、若い人にもっと聞いてほしい」と話した。
園田さんは「全員が広島や長崎の資料館へ行くのは難しく、各地域で体験を伝えることは重要だ。語り続けていく」と力を込めた。
証言できる被爆者「5人以下」は22府県
昨年5~6月に読売新聞が実施した調査では、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)に所属する35都府県の被爆者団体のうち、証言できる被爆者が「5人以下」という団体は6割にあたる22府県に上った。
島根県原爆被爆者協議会が松江市周辺で証言を依頼できるのは90歳代の女性1人になっていたが、今年新たに1人が加わった。
ノーベル平和賞が後押し
長崎で爆心地から700メートルで被爆した佐々木シノブさん(90)(松江市)。友人と防空壕の中にいて助かったが、壕にはやけどで皮膚がただれた人たちが「水を」「助けて」と次々と入ってきた。数日後に自宅近くの焼け跡で再会した母は、体調を崩して約1週間後に息を引き取った。
戦後は父の出身地である島根県で暮らした。被爆者と後ろ指を指されることが怖く、周囲には隠してきたが、2024年に被団協がノーベル平和賞を受賞し、テレビなどで原爆が話題になる機会も増えた。
2人の娘から「体験を話してほしい」と頼まれ、少しずつ当時の話をするようになった。次第に「最後に頑張ってみようか」と考えるようになり、県原爆被爆者協議会で語り部を引き受けた。
今年4月に松江市内で、初めて家族以外に自身が見聞きした光景を証言し、「戦争はむごい。あってはいけない」と訴えた。
次女の武田弘美さん(59)は「この年齢で元気で、生の証言ができる人はなかなかいない。後悔のないようにしゃべってほしい」と背中を押す。佐々木さんは「体が元気であれば続けたい」と話した。



