関ヶ原の旧陸軍「玉の火薬庫」、歴史的価値に注目
関ヶ原の旧陸軍「玉の火薬庫」、歴史的価値に注目

太平洋戦争中、岐阜県関ヶ原町玉地区(旧玉村)にあった旧日本陸軍の施設「玉の火薬庫」が、戦争遺跡として注目を集めている。建築学の専門家たちの調査によると、コンクリート建造物としての歴史的価値は、世界文化遺産に登録されている長崎市沖の端島炭坑(通称・軍艦島)にも匹敵するという。

「東洋一の火薬庫」の実像

玉の火薬庫の正式名称は「名古屋陸軍兵器補給廠関ヶ原分廠」。1916年(大正5年)、旧日本陸軍が建設した。敷地面積は約220ヘクタールで「東洋一の火薬庫」とも呼ばれた。

山の斜面に横穴を開けて穴の周囲をコンクリートで固めた「本洞窟火薬庫」、地表面を掘り、鉄筋コンクリートなどで作った倉庫に草木をかぶせて偽装した「半洞窟火薬庫」など計48棟が並び、貯蔵量は約3200トンに上った。

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専門家調査で判明した価値

地元の要請を受け、NPO法人「コンクリート技術支援機構」(ASCoT)や日本建築学会東海支部などが2025年度から、遺跡としての価値や保存方法などを調査しており、今月1日、町歴史民俗学習館で開かれた学術講演会で中間報告があった。

この中で、ASCoTの長谷川哲也常務理事は「旧日本陸軍は当時、コンクリート建造物について世界的にも高度な技術力をもっていた」と説明し、玉の火薬庫について「産業技術の発展を示す貴重な文化財だ」などと評価した。

また、金城学院大デザイン工学部の朴相俊教授は「火薬庫壁面などのコンクリートの強度や耐性を調査したが、数値的に見ても現在の既設建造物とほぼ遜色がなく、110年経ている施設とは思えないほどだ」と強調した。

今後の保存へ

調査は27年度まで行われ、将来的な補修、改修、保全計画案なども含めて報告書にまとめる予定だ。

玉の火薬庫の所有者は、玉区や個人、企業など多岐にわたっており、西脇康世町長は「大切な戦争遺跡だと思っていたが、ここまで貴重だとは。地元の皆さんと協議しながら、文化財指定も含め、保存方法を検討したい」と話した。

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