「ある時から映像授業をあえて途中で止め、自分でじっくり悶々とする時間を作ったんです。それから吸収力が明らかに上がりました。塾の授業は筋道立ててわかりやすく教えてくれて、答えが出ないことは基本ない。でも流して見るだけだと解答までの道筋が流れていくだけで、自分で詰まる時間がないと自分のものにならない。対面の集団塾ではこれができません。授業は止まってくれないので」
こう語るのは東大後期教養学部のSさん。さらに「授業後、友達とラーメン屋で1時間ほど、その日の内容を議論してたんです。あの時間がなかったら東大には届いていません」と、塾の外での対話が合格を支えたと明かす。
「わからないまま机に向かう時間」が育てるネガティブ・ケイパビリティ
京大文学部のMさんも、自主学習中心に切り替えたことで成績が伸びたと分析する。
「わからないまま机に向かう時間が、ようやく許されるようになったんだと思います。集団塾だと先生がその場で解説して進んでいくので、理解していないまま次の単元に入ってしまう。“わからない”が許されない環境でした。京大の二次試験には、問いを頭の中でこねくり回して、じっくり考える力が必要なんです。でも振り返ると塾では、5分で解けなければ諦めて、次に進む癖がついてしまっていました」
「許される」という言葉が印象的だ。「わからない」状態は本来気持ち悪く、すぐ解消したくなる。けれどその気持ち悪さに耐える時間こそが後で力になる。SさんもMさんも、違うルートで同じ場所に辿り着いていた。
これは近年「ネガティブ・ケイパビリティ」と呼ばれる。答えがすぐ出ない状況で、不確実性を受け入れる力のことだ。
短期的な安心よりも社会で役立つ「問いを抱え続ける力」を
両者の体験は、有名塾=安心という常識に疑問を投げかける。Sさんは「塾を続けたら大学合格は無理だった」と断言し、Mさんは塾を「二極化を拡大する装置」と表現した。彼らが合格をつかんだのは、塾の外で自ら考え、対話する時間だった。
現代の受験勉強では、効率的な知識注入が重視されがちだが、本当に必要なのは、わからない状態に耐え、自ら問いを抱え続ける力かもしれない。その力こそが、大学入試だけでなく、社会で生き抜く力につながる。



