数学研究者でありジャズピアニスト、STEAM教育を推進する会社の代表でもある中島さち子さん。激しく変化する社会を生きる子供たちに必要なSTEAM教育とは何か。コアネット教育総合研究所の岡田育也さんと語り合いました。
「知る」と「つくる」が循環するSTEAM教育
岡田:中島さんは高校生のときに国際数学オリンピックで金メダルを獲得。東京大学に進み、理学部数学科を卒業されています。一方でジャズピアニストとして音楽活動を続け、同時に数学の研究者でもいらっしゃる。ご自分の中では、数学と音楽は離れているのか、同じ流れに沿っているのか、どうとらえていますか。
中島:「創造性」という点では数学も音楽も似ていて、ただ、過程が若干違うだけだと感じています。どんな音楽が評価されるかという点だけでも、一つの軸では語れません。学問としての数学も同じ。自分なりの問いを立てて、一生かけて取り組んでいくことに幸せを感じる人もいるわけです。数学ではものの見方を少し変えると景色ががらりと変わるみたいなところがありますが、音楽もそういうところがあって、作品を分析し、型のようなものを見いだし、さらにその根源をたどると、すごく面白い別の顔が見えてくる。文化や社会そのものというか、結局「数学」「音楽」だけでは見えないものが関わり合っていることに気付きます。
岡田:従来型の学習だと、数学なら数学、音楽なら音楽と、教科ごとに学んで、先人がつくり出した型、数式や公式といった理論を小中高校と学ぶわけです。でも、今おっしゃったように型の源流をたどっていくと、各教科の知識ではなく「ものの見方」が混ざり合っていく。そこが面白いということですね。その面白さは学ぶうえでの重要なカギでもあり、STEAM教育につながると思います。今は学校の先生方も固定的な学びから能動的な学び、教科横断的な学びへと教育内容をリデザインしていこうとされています。そういった動きについては、どのように見ていますか。
中島:例えば少し前までのすし職人のように、まず技術習得に専念してから、オリジナリティや創造性に向かうほうが成功する場合もあるでしょう。学びにおいても、本当に好きになったら一回、訓練の時期をたどるのもいいと思います。けれど、まだ好きかどうかもわからないうちに、訓練を続けるのは苦痛になりますし、ものすごい量の「知」にアクセスできる今、一つの点を早期に見つけてそこにだけ集中していくのは難しい。今の時代に合わなくなっている気がします。STEAM教育は、「知る」と「つくる」が循環する学びだといわれていますが、最初の頃はいろいろな点を掘ってみて、失敗しながらも実際につくってみることが重要です。テストの範囲内でアウトプットしている限りは、学問の面白さとか芸術の面白さ、モノづくりの面白さはなかなかわからないので。子供の頃、砂場でお城を作りたくて友達と協働し、加える水の量を相談したり、途中から城ではなくトンネルを掘ってみたくなったり、といったあの感覚です。
学びを深める試行錯誤と「人文知」の重要性
岡田:お話を聞いていて、学校を選択するに当たっては、いろいろな体験ができ、多種多様なプログラムがあるところが望ましいのかなと感じました。試行錯誤しながら多様な選択ができる環境が、子供を成長させるために重要ですね。
中島:そうですね。教育の場での考え方として、「コンピュテーショナル・シンキング(計算論的思考)」という言葉が出てきて、これは21世紀を生きるすべての人に必要な思考法だと世界的に広がりました。もう理系とか文系とか言っている場合ではなく、これだけ複雑な社会の中で、今、大事なものを抜き出して抽象化、モデル化していくことなどが一番大事であり、それは数学や歴史や政治においても共通するものだということです。
岡田:コンピュテーショナル・シンキングは、日本だとプログラミング的思考と受け止めて、科目の中の「情報I」に入りました。
中島:もう一つ、最近思うことは、「人文知」の重要性です。歴史だけ見ても、答えは一つではありません。目の前で起きていることでさえ、何が事実か、誰の言っていることが正しいのかわからないのに、何百年も前のことに正解はありません。物事の背景を多角的にとらえる視点が必要で、文系理系と分けることなく人文系の先生たちの専門性を生かす場がもっとあればと思っています。
これからの子供たちの生成AIとの付き合い方
岡田:生成AIの活用が広がっている中、最近、学校の先生や保護者からよくいただくお悩みがあります。読書感想文などで一部の生徒は生成AIを使い、そこに自分の体験を足したり、文末を少し直したりするだけになっていると。AI時代の表現についてどのようにお考えでしょうか。
中島:生成AIを使った似たような文ばかりで、先生たちも評価に困るのかもしれません。でも、先生たちもまた、評価するときに生成AIを使うのかとも思うのですが(笑)。できるだけ早く提出しなくてはいけないからAIを使うというのは、もはやありえるのかもしれません。でも、そこには喜びみたいなものがありません。例えば音楽家は、自分よりもうまく楽器が弾けるAIや、自分に似せて弾けるAIがあったとしても、自分が弾くことはやめません。なぜなら、弾きたいから。楽しいからです。なぜ学校が読書感想文を書かせるかというと、やはり読んで感じて、下手でも書くという体験によって得られるものがあるからです。ただAIと協働して何かをつくることも一つの体験です。だから、AIに読書感想文を書かせるときに、「どうしても書きたくない」「読んでも何も感じなかった」ということであれば、AIにそう言ってみたらいいと思います。そうしたら、「先生にこう提言したら」とか「一つだけ印象に残っているものは何?」といったやりとりになるかもしれません。もちろんリアルな体験が少ない年齢での利用には制限をかけるなどが必要だと思いますが。
岡田:AIを活用する時代、ほかに学校や家庭ではどんなことを意識すればよいでしょうか。
中島:AIには持てない身体性が人間にはあります。机の上でパソコンから得られる情報もすごいけれど、外に出て感じる風や香り、葉の感触などのほうが、圧倒的な情報量が含まれています。AIの時代だからこそ、自然に触れる体験がますます重要になってくると思います。また、失敗したり、笑われたり、悔しいとか恥ずかしいといったことを、早いうちに現実のものとして体験することも重要です。目の前の結果に焦らず、「学ぶことは永遠に面白い」という根本を子供に伝えられたら、それでよいのではないでしょうか。



