海底から引き揚げた紫電改、塩抜き中 展示には課題
海底から引き揚げた紫電改、塩抜き中 展示には課題

太平洋戦争中に製造された旧日本軍の軍用機は、戦後81年を迎える今も戦禍の記憶を生々しく伝える「無言の語り部」だ。残る機体が少ない中、海底で見つかった機体を引き揚げる例がある。長く水中にあったことから保存に特殊な処置が必要で、展示には課題もある。

7月中旬、鹿児島県出水市の山あいを訪れると、地面に穴を掘って設けた大小三つの即席の水槽に、旧海軍の戦闘機「紫電改」が沈んでいた。4月に同県阿久根市の沖合約200メートル、水深約3メートルの海底から骨組みをとどめた状態で引き揚げられた後、両翼とエンジン、タンクに分解され、水に漬けることによる「塩抜き」が行われている。塩類が残留したままだと、大気中の酸素に触れて急速に劣化が進むためだ。

一般公開で説明

この日は一般公開日で、午後1時からの3時間に約50人が来場。引き揚げを行ったNPO法人「北薩の戦争遺産を後世に遺す会」の肥本英輔代表(71)が、「プロペラの根元に、敵機に撃たれた跡が残っている」と説明した。

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紫電改は、太平洋戦争末期に本土防衛の切り札として約400機が製造された。20ミリ機銃4門や小型高出力エンジンを備え、米軍機と互角に戦ったとされる。国内に現存するのは出水市にある機体と、愛媛県愛南町に展示されている2機のみだ。

搭乗機の経緯

同会によると、保管する紫電改は、343航空隊・戦闘第407飛行隊の隊長、林喜重大尉(戦死後に少佐に昇進)の搭乗機で、1945年4月21日、米爆撃機B29を迎え撃つため、鹿児島県霧島市にあった国分基地から出撃した後、阿久根市沖合に不時着水。林大尉は命を落とした。

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