能登半島地震から2年、民生委員が語る「住民のつながりを守る」奮闘
能登半島地震、民生委員が語る住民のつながりを守る奮闘

2024年1月1日午後4時6分、輪島市町野町地域の若桑地区で、民生委員の坂本敏展さん(72)は自宅で妻と団らん中に地震の揺れを感じた。屋根瓦を確認しようと道路に出たところ、震度7の本震に見舞われ、地面にうつ伏せになって揺れが収まるのを待った。妻の無事を確認し、余震に備えて家の外へ避難した。

坂本さんの自宅は2007年の地震で全壊した経験から、新たに耐震工事を施した平屋建てだった。食器棚などの家具は全て固定してあり、本や書類は散乱したものの大きな被害はなかった。最も近い指定避難所は約1キロ離れた旧町野小学校と旧東陽中学校の体育館で、暗くなり始め道路には倒壊家屋のがれきが散乱していたため、自宅で一夜を明かす判断をした。

安否確認に奔走した3日間

町野町地域は約30地区に分かれており、坂本さんは民生委員として若桑、地方、粟倉の3地区を担当。原則80歳以上の一人暮らしの住民12人を見守っていた。地震発生翌日の2日朝から見回りを開始し、3日には地域の避難所を回って安否確認に奔走した。

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坂本さんは普段から週1回程度、あいさつや雑談を心がけ「顔の見える関係性」を築いてきた。電波がつながらない中、顔見知りの人づてに3日までにおおむね安否を確認できたが、男性1人が亡くなったことが分かった。

地域に残る決断と支援活動

1月15日から加賀温泉などへの2次避難が始まり、避難所の住民は減少。坂本さんは近隣住民から「こっちにこないか」と誘われたが、「みんな出て行ったら地区が駄目になる」と地域に残る決断をした。50年間勤めた自宅向かいの車の修理工場は地震で半壊し閉鎖。年齢的にも引き際と考え退職し、地域の見守りと地区の活動に専念することにした。

1月末近くまでカップラーメンやレトルト食品を避難所から自宅で避難生活を送る人に届け続け、3月22日からは約3カ月間、7世帯に毎夕弁当を届けた。避難所となっている集会所で支援物資を分ける作業にも2カ月間、毎日取り組んだ。シリーズ「この地域で~住民のつながりを守る~」は全2回。

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