熊本県で最大震度7を記録した地震の被災地にいち早くボランティアとして駆け付けた福岡市東区下原の会社経営、石田勇以さん(30)は、大規模災害が発生した全国の被災地で活動を続けてきた。原点にあるのは、10年前の熊本地震で経験した先輩との死別。再び熊本を襲った激震に、「人はいつ命を落とすかわからない。だからこそ、今、自分にできることをしたい」と力を込める。
益城町での活動
地震発生から5日目の1日、熊本県内で最も早くボランティアセンターが始動した益城町。知人2人と訪れた石田さんは、高齢者宅で散乱した屋内の整理に汗を流した。使える食器を運び出すなど一連の作業を終えると、「被災者の方からの『ありがとう』が何よりもうれしい」と笑顔を見せた。
先輩との出会いと死別
北九州市出身の石田さんは、2014年に熊本県南阿蘇村の東海大農学部に進学し、バレーボールサークルで一つ年上の先輩、脇志朋弥さん(被災当時21歳)と出会った。バレーを始めたばかりの自分に一から指導してくれた脇さんは、「誰にも分け隔てなく接する優しい人」だった。
石田さんはその後、長崎の大学への転学を決め、3年生への進学直前に退学して南阿蘇村を離れた。脇さんに別れを伝えると、「頑張ってね」と声をかけてくれた。熊本地震の前震が起きた16年4月14日は、偶然村にいた。当時の在学証明書などを入手する必要があり、取りに戻っていた。
本震と先輩の死
高速道路が通行止めとなって足止めされ、友人宅に滞在していた同16日、村を本震の激震が襲った。東海大の学生が入るアパートが倒壊し、多くの学生が下敷きとなった。石田さんも救急隊員とともに別の学生の救助にあたり、車のジャッキなどを使って何とか助け出したが、救急隊員からは脇さんの死を知らされた。
親しく接してくれた先輩の命が奪われたショックは大きく、自分自身も命を落としていたかもしれなかったことにも身震いした。
ボランティア活動の原点
2日後には北九州の実家に戻れたが、東海大時代にお世話になった人たちのことが気にかかり、熊本へ戻ることを決意した。友人たちとボランティア団体を発足させると、南阿蘇村など熊本県内の被災地を回って約1年にわたって支援にあたった。その後も災害ボランティアとして、17年の九州北部豪雨や24年の能登半島地震など、全国の被災地に足を運んだ。
ただ、苦しい思い出のある熊本からは次第に足が遠のくようになった。10年前の被災以降、車のクラクションや雷など大きな音が苦手になり、トラウマが残っていると感じていた。
再び熊本へ
迎えた7月28日、福岡市での仕事中に再び熊本が震度7に見舞われた時も、別の場所で起きた災害の時とは違う「ためらい」を覚えた。それでも、被災した熊本の人たちが困っている姿が目に浮かび、「行かないという選択肢はない」と迷いを断ち切り、被災地に足を向けた。
益城では活動を終えたが、別の自治体でもボランティアの受け入れ準備が進んでいる。7日にも再び県内に入り、震度6強を記録した美里町で活動する予定だ。自身の会社で働く若い社員を連れて、共に復旧に携わることも考えている。
「いつかまた、私も被災して誰かに手を貸してもらう立場になるかもしれない。『お互いさま』の気持ちで自分が助けられることはしていきたい」。つらい別れを胸に、これからも被災者に寄り添っていくつもりだ。



