震災発生から12日目となる3月20日、愛媛県の医療チームが北上地区に入り、6月末まで長期支援を行った。石巻赤十字病院との連携のもと、愛媛の県立病院や大学病院などの医師や看護師らがバトンタッチしながら、北上地区を長期支援した。
1週間単位で避難所を回り、後続の班に申し送りをして交代する。巡回先の患者の様子や衛生環境などを災害対策支部と共有し、話し合う。受け入れる地元側の負担は格段に軽くなった。
外部支援の混乱
外部の医療支援は震災4日目にさかのぼる。県警のヘリ部隊とDMAT(災害派遣医療チーム)の先遣隊が14日に相次いで到着。翌日からはDMATの避難所巡回が始まった。
先遣隊の一人に保健師が「薬がない」と訴えると、「どの薬がどれだけ足りませんか」と聞かれた。カルテも薬手帳も津波で流され、正確には分からない。橋浦診療所の只野光一医師と相談し、とりあえず血圧を下げる降圧剤と糖尿病の薬を頼んだ。「種類は何でもいいので、効能が中程度以下のものを」と伝えた。
外部支援も当初は混乱していて、「明日来ます」と言った医療チームが来なかったり、逆に来ないと言われていたのに2チーム来たりした。顔ぶれが毎日のように入れ替わり、保健師2人のどちらかが災害対策支部に待機し、到着するたびに物品の在庫から道路事情にいたるまで説明する必要があった。
地元の負担軽減
急病人や透析患者らが全員搬送された後も、比較的リスクが低い人たちは北上の避難所に残った。寝たきりの要介護者、精神疾患を抱える人、胃ろうのケアを受ける患者などだ。薬は少ししか渡せないし、体調が急変してもできることは限られる。手探りで対応にあたるしかなかった。
愛媛県のチームが違ったのは、石巻赤十字病院との連携のもと、愛媛の県立病院や大学病院などの医師や看護師らがバトンタッチしながら6月末まで北上地区を長期支援したことだ。震災対応の出口はまだ一向に見えなかったが、「前向きな気持ちでがんばることができた」と保健師は言う。
小さな地域で、医療従事者がみな多くの住民と顔見知りだったことは幸いだった。持病や家族構成をあらためて一から聞く必要がなかった。
住民の協力
住民も協力的だった。トイレ管理やアルコール消毒の徹底は避難所リーダーたちが率先して担い、集団感染を出さずに済んだ。エコノミークラス症候群の注意喚起のポスターづくりは、北上中体育館に避難していた中学生たちが快く引き受け、避難所向けに10枚、模造紙に書いてくれた。
夜、保健師が追分温泉に戻ると、主人の横山宗一さんと妻の章子さんが「おかえり」と迎えた。「近所の牧場でもらったから」と、搾りたての牛乳を出してくれた日もある。眠りにつく前にストーブで温めて飲んだ。疲れた体に染み入るような味だった。
今野照夫さんの震災日記は、発生から10日ほどたち、記述が短くなっている。今野照夫さんは「急に忙しくなってきて、書く余裕がなくなったのだと思う」と語る。



