織田信長の死後に勃発した権力争いで、羽柴秀吉が勝利を収めた背景には、早い段階から柴田勝家を最大の敵と見定め、巧妙な寝返り工作を展開していたことがある。歴史評論家の香原斗志氏は、勝家がその策略にまんまと嵌ったと指摘する。
清須会議で露呈した秀吉の野望
NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の第30回「清須会議」(8月9日放送)では、信長と嫡男の信忠が亡き後、織田家の後継者と領地配分を決める清須会議を前に、秀吉が周囲を驚かせる提案を行う。それは、信長の次男の信雄と三男の信孝を外し、秀吉自身と柴田勝家、丹羽長秀、池田恒興の4人だけで話し合うというものだった。さらに、信忠の孫で3歳の三法師を後継者とし、成長するまで4人で支えるとし、信長の妹・市を勝家が娶るという提案も加えた。
実際の清須会議(天正10年6月27日)でも、三法師を後継者と定め、信雄と信孝を外して4人の合議制で政権を運営することが決定した。この時点で秀吉が織田政権の簒奪を固く決意していたことを示す史料はないが、情勢からして野望が芽生えていたことは間違いないだろう。
勝家の周囲を崩す工作
秀吉は、勝家が自分にとって最大の難敵となると早くから見抜き、工作を開始していた。勝家の配下の大物武将たちに寝返りを働きかけたのである。これにより、勝家の陣営は内側から崩れていった。
特に、賤ケ岳の戦いでは、勝家の重臣である前田利家が戦線を離脱するという出来事が起きる。利家の退却は、戦いの趨勢を決する大きな要因となった。勝家は、まさかの身内の裏切りに遭い、敗北を喫したのである。
秀吉の周到な戦略と工作が、勝家を打ち破る鍵となった。



