なぜ安土だけが廃墟に?大坂・江戸との決定的な違い【2026年5月BEST】
なぜ安土だけが廃墟に?大坂・江戸との違い

2026年5月、プレジデントオンラインで反響の大きかった人気記事ベスト3を紹介する。歴史・雑学部門の第1位は「だから『織田の安土』だけが廃墟になり、『豊臣の大坂』『徳川の江戸』は栄え続けた…幻の都市に欠けた唯一の要素」だ。

安土城の城下町はなぜ発展しなかったのか

NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」では、織田信長が安土城を拠点に移し、物語が進んでいる。豪勢な城のもと、城下町は日々賑わいを増したとされるが、なぜその繁栄は途絶えてしまったのか。“本能寺の変”だけでは説明できない理由が見えてきた。ルポライターの昼間たかしさんが、文献などを基に史実に迫る。

安土の城下町の発展は続かなかった

安土城を訪れると、愕然とするような風景が広がっている。城と共に必ず訪れる滋賀県立安土城考古博物館の展示は充実しているが、周囲に広がるのは田園風景。最寄り駅であるJR線の安土駅前はレンタサイクルの店がいくつかある程度に過ぎない。かつての安土町(現在は近江八幡市)の人口は1万人程度。「ヨーロッパにもこれほどのものは存在しない」と言わしめたのに、今はちょっと寂しい。

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本当に安土城が優れた立地であれば、信長が本能寺の変で横死した後も、引き続き支配者の拠点として利用され発展したはずである。現に、京都や大坂は幾度も支配者が入れ替わっても繁栄を続け、現在も大都市として継続している。では、なぜ安土の町は存続し発展することがなかったのか。

発展途上、栄える前に終わった

そもそも、安土城が豪奢な天守閣を持つ城だったこと。本能寺の変直後に謎の放火で炎上したことは、多くの人に知られている。一方で、城下町はどうだろうか? 信長が「楽市楽座」を命じたことは知られているが、それ以上のことはあまり知られていない。

実のところ、当時の宣教師・フロイスの記録では人口は5000〜6000人で日々賑わいを増していると描かれている城下町だが、江戸時代の城下町に比べると整備が進んだものではなかった。しばらく後の時代に羽柴秀次の居城として整備された近江八幡の城下町が武士と商人の居住地区分を実施するなど計画的な都市を目指していたのに比べると、そこまでの都市計画は進んでいなかったようだ(近藤滋「安土城下町の再考」『滋賀県安土城郭調査研究所研究紀要2003』)。

そこから見えてくるのは、信長の死によって安土城が拠点としての地位を失った時点で、城下町はまだ都市として自立していなかったという事実だ。いわば、発展途上の計画都市が、途中で工事を止めた。つまり「栄えた城下町が廃れた」のではなく「栄える前に終わった」という話である。では、なぜ安土の城下町は「栄える前に終わった」のか。単に信長が死んだからというだけでは説明が足りない。京都も大坂も、支配者が死に、政権が変わり、戦火に焼かれながらも都市として存続し続けた。安土との違いはどこにあったのか。

琵琶湖は“日本最大の物流インフラ”だった

安土城は琵琶湖畔に築かれた。琵琶湖は当時、日本最大の物流インフラであり、水運を利用した物資の集散地として絶好の立地だった。信長はこの利点を活かし、商業を活性化させようとした。しかし、城下町の繁栄は信長の権力に依存しており、彼の死後はその基盤を失った。

六角氏が育てた商業インフラに、織田の権力を乗せる

安土の地は、元々六角氏が商業インフラを整備していた地域だった。信長はその上に自らの権力を乗せ、さらに発展させようとした。しかし、その商業基盤はまだ脆弱で、信長個人のカリスマに依存する部分が大きかった。

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安土城は“朝廷に対峙する最前線”

安土城は単なる居城ではなく、朝廷に対峙するための最前線としての役割も担っていた。信長は天皇や公家を威圧するために、この地に壮大な城を築いた。しかし、その政治的な意味合いが強すぎたため、信長の死後はその象徴性も失われた。

「天下はここから動かす」実利を伴ったシンボル

信長は「天下はここから動かす」と宣言し、安土城を天下統一の拠点とした。しかし、その実利は信長の存命中に限られていた。城下町の経済は信長の権力に依存しており、彼の死後は持続可能な発展ができなかった。

「信長がいること」だけに依存した町

安土の城下町は、信長がいること自体に依存していた。彼のカリスマと権力が町の繁栄を支えていたが、それ以外の要素が欠けていた。例えば、大坂は商業都市としての基盤が強固であり、江戸は幕府の政治的中心としての役割が確立していた。一方、安土は信長個人に依存するあまり、彼の死後は衰退の一途をたどった。

“権力依存の都市”は脆弱

権力依存の都市は脆弱である。安土城下町はその典型例と言える。信長の死後、明智光秀や豊臣秀吉が短期間支配したが、いずれも安土を拠点として選ばなかった。彼らは大坂や京都を重視し、安土は次第に忘れ去られた。こうして、安土は「幻の都市」となったのである。