織田信長の側近として本能寺で命を落とした若き小姓・森蘭丸。しかし、その実像は後世の俗説に彩られている。江戸文化風俗研究家の小林明氏が、史実に基づいてその素顔を解き明かす。
「森乱」の名が大河ドラマで波紋
令和5年のNHK大河ドラマ「どうする家康」で「森乱」という名が使われ、視聴者に衝撃を与えた。現在放送中の「豊臣兄弟!」にも森乱が登場予定だ。歴史家の間では知られた呼称だが、一般には「蘭丸」が浸透していたため、驚きをもって迎えられた。
名前の真相:蘭丸ではなく「乱」
信長の一代記『信長公記』(慶長年間初期成立)には「森乱」と記されている。天正7年(1579年)の項には「御使『森乱』」とあり、天正10年(1582年)の本能寺の変の場面でも「森乱」が明智光秀の謀反を知らせ、兄弟と共に討ち死にしたと記録されている。蘭丸という名は同時代の文献には見当たらず、後世の創作とされる。
「美少年説」は後年の創作
森蘭丸=美少年というイメージは、江戸時代以降の浮世絵や物語で広まった。実際の容貌を伝える確かな史料はなく、現代に流布するイメージは後世の脚色に過ぎない。
男色関係は根も葉もない噂
信長と蘭丸の男色関係も、確かな証拠はない。戦国時代には男色が一定の文化として存在したが、信長と蘭丸の関係を直接示す史料はなく、後世の俗説である可能性が高い。
信長が見たのは能力
信長が蘭丸を重用したのは、その容姿ではなく、頭脳と忠誠心だった。蘭丸は幼少から信長に仕え、側近として政務や使者を務めた。また、森家は一族を挙げて信長に仕え、蘭丸の兄弟も本能寺で殉じている。信長は実力を重視する人物であり、蘭丸の能力を高く評価していたのである。



