秀吉でも光秀でもない、小谷城攻めで信長を救った戦国武将の寝返り
秀吉でも光秀でもない、小谷城攻めで信長を救った武将

2026年5月にプレジデントオンラインで反響の大きかった人気記事ベスト3をお送りする。大河ドラマ部門の第1位は、浅井長政が敗れた理由を考察した記事である。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」では、信長(小栗旬)を裏切った浅井長政(中島歩)が小谷城で最期を迎えた。古城探訪家の今泉慎一氏によると、小谷城攻めでは近くの琵琶湖畔の城の城主が信長に寝返り、勝敗のキーパーソンになったという。

小谷城の喉元に織田軍の拠点

1570年4月、義弟・浅井長政の裏切り「金ヶ崎の退き口」に始まった織田信長と浅井・朝倉との争いは、姉川の決戦や比叡山焼き討ちを経て、信長方が優勢となった。そしてついに浅井家の居城・小谷城(滋賀県長浜市湖北町伊部)での決戦となる。信長が3万の兵を率いて小谷城へ攻め寄せたのは1572年7月。最前線の拠点は虎御前山城(滋賀県長浜市湖北町河毛)で、信長以下、木下秀吉、柴田勝家、滝川一益、佐久間信盛、堀秀政ら織田家の主要家臣が一堂に会した。

なぜ信長は兵を撤退させたのか

虎御前山城は小谷城の南西約1kmに位置し、敵の懐に飛び込む形だった。信長は当初ここに陣取ったが、城へ攻めかからず睨み合いが続き、最前線を秀吉に任せて多くの兵を撤退させた。これは慎重さだけでなく、中央情勢の緊迫や足利義昭、武田信玄の動きに対応する必要があったためだ。最終的に秀吉が先陣を切って城内へ突入し、小谷城は落城、長政は自刃し浅井家は滅亡。秀吉は北近江に領地を得て一国一城の主となった。

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勝敗を決めた武将の寝返り

信長が強攻を決断した背景には、ある武将の寝返りが大きく関与していた。その武将こそ、琵琶湖畔の山本山城の城主である。山本山城は小谷城の北東に位置し、小谷城と共に浅井氏の防衛線を形成していた。この城が信長に寝返ったことで、小谷城は孤立し、信長軍は包囲網を完成させることができた。この寝返りがなければ、小谷城攻めは長期化し、信長は別の戦線で苦戦していた可能性が高い。

山本山城の城主は、浅井氏の重臣でありながら、信長の調略に応じて寝返った。その結果、小谷城は前後を敵に挟まれ、信長軍の猛攻に耐えられず落城した。この武将の名前は、大河ドラマではあまり注目されないが、戦国史において重要な役割を果たした。

まとめ

小谷城攻めにおける山本山城主の寝返りは、信長の勝利を決定づけた。秀吉や光秀ではない、この武将の存在がなければ、信長は小谷城を攻略できず、歴史は変わっていたかもしれない。戦国時代の城攻めでは、城の地形や武将の人心掌握が勝敗を分けることを、この事例は示している。

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