9日に長崎市で営まれた平和祈念式典の「長崎平和宣言」では、原爆で瀕死の重傷を負った吉田勝二さん(2010年に78歳で死去)が語り部活動をする際、いつも伝えていた言葉が引用された。その信念を受け継ぐ人たちは、この日も平和活動に取り組み、思いをはせた。
父の言葉を受け継ぐ次男
吉田さんは長崎県立長崎工業学校2年生の時、爆心地から約850メートルで被爆。右耳を吹き飛ばされ、顔を中心に全身に大やけどを負った。海軍病院で治療を受けて一命を取り留め、移植手術を繰り返した。
退院後、顔に残るケロイドに集まる視線に耐えきれず、自宅に引きこもる時期もあった。家族の励ましもあり、就職し、営業の仕事をこなした。退職後の1980年代、知人の誘いで語り部を始めた。
「おやじは何も悪いことをしていない」
「父と一緒に外出するのが嫌になった時期もあった」。次男の朋司さん(58)は思春期の頃の複雑な心情を思い返す。同級生に「耳なしおやじ」となじられたことが心の澱になったが、両親に打ち明けられなかった。それでも朗らかに人と接する父を見て、「おやじは何も悪いことをしていない。心ない人間に左右されるのはやめよう」と自然に吹っ切れた。
「おいちゃんも13歳の頃までは、キムタクのごとよか男だったとよ」。耳帯で右耳を覆い、そんなユーモラスな語り口で証言を重ねた父。朋司さんは中学校教員になり、思春期に抱えた悩みと、父を誇りに思う気持ちをまとめた教材を作成。父が授業に足を運んでくれたこともあった。
現役の語り部として
81回目の原爆の日は、勤務する長崎市内の中学校で平和集会を開く1年生のサポートにあたった。宣言をインターネットの配信で聞き、「父の言葉が世界のリーダーに届き、今も現役の語り部として平和のために貢献していると感じた」と目頭を熱くした。



