高知医療生協、戦争体験談28人分を冊子に 高知大空襲など収録
高知医療生協、戦争体験談28人分を冊子に

高知医療生活協同組合(本部・高知市)が、県内に住む28人の戦争体験談を収録した「“平和な未来”へ 繋(つな)ぐためのメッセージ集」(A4判、156ページ)を発行した。同組合は昨年10月から聞き取りを行い、証言からは戦場や空襲など当時の生々しい実態が浮かび上がる。ホームページにはインタビュー動画も公開され、同組合は「平和を考えるきっかけにしてほしい」と呼びかけている。

戦後80年、不安定な世界情勢を受けて企画

戦後80年となった昨年、ロシアのウクライナ侵略やイスラエルによるガザ攻撃など不安定な世界情勢が続く中、戦争の悲惨さを思い返そうと、同組合がプロジェクトチームを編成して企画した。戦争を知る人が少なくなり、取材は難航したが、県内38支部を通じて協力者を見つけた。

元海軍兵士の証言「軍国主義に二度とならないで」

1945年5月、志願して海軍に入った香南市の98歳男性は、海軍特別幹部練習生として長崎県佐世保市の海兵団に入団。動作は全て駆け足で、ぼやぼやしていると野球のバットのような樫(かし)の棒で尻を力任せに打たれたという。米軍の上陸に備え、1人隠れるだけの穴を掘り、竹棒の先に爆薬をつけたまま隠れ、戦車に爆薬を踏まして爆破する訓練を受けたと振り返る。

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終戦後、9月1日付で軍が解散。列車を乗り継いで高知に向かう途中、広島では山や野原の草木が全て焼け、破れた衣類を引きずり、棒にしがみついて歩いている人を遠目に見た。帰郷後、「広島は原爆にやられた」と初めて知ったという記憶をたどり、最後に「軍国主義に二度とならないことを祈ります」と願った。

高知大空襲の記憶「人権を大事に」

400人以上が犠牲になった高知大空襲(1945年7月3日)。高知市中心部に住んでいた85歳女性は、当時5歳だったと回顧。空襲警報が発令され、家族で防空壕(ごう)に入った。空襲が始まり、たちまちあたりは真っ赤になり、神社の狐格子(きつねごうし)が火を吹いた。祖父の印鑑店も自宅も跡形もなく焼け落ちた。

高知市の90歳男性は高知大空襲の翌日、はりまや橋付近と思われる場所で、赤ちゃんを抱いたまま亡くなっていた母親の姿を見た。「戦争というのは無残なしね、人が人で無くなるしね。人権というものについて、やはり日本人がもっと大事にしていかんとね」と訴える。

1000部製作、学校や図書館に寄贈

メッセージ集に掲載された28人は80~90歳代が中心で、聞き取りから約4か月後に亡くなった人もいた。インタビュー動画は4人の証言を簡潔にまとめて10分で収録。プロジェクトチームは今後、学校に戦争体験を聞く会の開催も呼びかけたいとし、担当者は「戦争は命と健康を脅かす最大の要因であり、その意味を考える上でメッセージ集を活用し、平和教育に役立ててほしい」と話す。

1000部を製作。県内全ての小中学校、高校や大学、図書館などに寄贈。ホームページからも無料でダウンロードできる。一部500円で同組合本部や支部で販売もしている。問い合わせは本部事務局(088・843・0025)。

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