石巻高同級生の安住淳氏に電話、電気早期復旧へ「早めに通したい」…週末は石巻で4月まで
石巻高同級生の安住淳氏に電話、電気早期復旧へ…週末は石巻で4月まで

東日本大震災の津波で被災した石巻市北上総合支所の今野照夫さんが、衆院議員の安住淳さんに電話をかけ、北上地区の一部集落への早期送電を依頼した。安住氏は東北電力の関係者に連絡し、復旧の見通しを確認した。

同級生への電話と早期送電の依頼

今野さんと安住氏はともに石巻高校の52回生で、仕事で関わる機会はほとんどないが、会えば「照夫」「安住」と呼び合う間柄だ。今野さんは津波で携帯電話をなくし、支所長の佐藤直彦さんの携帯を借りて電話をかけた。

電話越しに安住氏は「照夫、おめえ生きてやのか」と声をあげた。津波から生還した話をかいつまんですると「こんな状態で『良かった』と言えないが、照夫が生きていたことは本当に良かった」と述べた。

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今野さんは用件を切り出した。北上地区の沿岸部は電柱が根こそぎ流され、復旧のめどはたたない。一方で、橋浦、長尾、女川という西寄りの集落は送配電設備の多くが壊れず残っている。

北上の災害対策支部は現実的な目標として、まず橋浦小学校にいる避難者を家に帰し、学校施設を開放したあと、授業を早々に再開させたいと考えていた。「そのためにも、この地区に早めに電気を通したい」と今野さんは言った。

安住氏の対応と現地での日々

電話を切った安住氏は東北電力の関係者に連絡を入れ、北上の状況を話した。回復の見通しを聞くと「中心部より北上のような周辺地域の方が早いかもしれません」ということだった。

安住氏が震災後初めて地元に帰ったのは3月18日だった。東北新幹線も東北自動車道もまだ使えず、秋田空港経由で石巻入りした。安住事務所や本人のもとには、行政や企業、住民などから毎日何十件と相談が寄せられた。「とてつもない情報量と仕事量だった。手元にためないよう、早め早めに対応していた」という。

不明だった孫が見つかったと、軽トラックに遺体を積んで突然事務所を訪れた男性がいた。「焼き場を探してくれないか」という。当時、火葬場はどこもいっぱいだった。秘書たちが手分けして問い合わせ、隣の山形県の引き受け先を見つけた。

週末は必ず石巻で過ごし、現地で次々と出てくる課題を市長や幹部らと検討し、月曜朝までに東京に戻る生活が4月いっぱいまで続いた。市内の自宅兼事務所も牡鹿の実家も津波で被災しており、夜は市役所4階の市長室隣にある応接室で仮眠をとった。

連載の背景

連載「今野照夫さんの震災日記」は宮城版のシリーズ。2011年、東日本大震災の津波が石巻市北上総合支所をのみ込み、職員や避難した住民57人のうち54人が犠牲となった。支所の地域振興課補佐だった今野さんも外に投げ出され、2時間漂流したのちに生還。翌日から始まった災害対応を420日間にわたり記録し続けた。

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