原爆復興の「平和の軸線」をレーザーで照らす「トモスハチロク」開催
原爆復興の「平和の軸線」をレーザーで照らすイベント開催

原爆から復興した広島の街に思いをはせてもらおうと、原爆ドーム(広島市中区)北側約650メートルの「平和の軸線」をレーザーで照らすイベント「トモスハチロク」が6日夜に行われた。

市民がLEDキャンドルを手に「軸線」を歩く

広島県や広島市、地元企業などで構成する実行委員会が主催。平和記念公園は、原爆ドームと原爆死没者慰霊碑、広島平和記念資料館が一直線に並ぶように設計されており、このラインが「平和の軸線」と呼ばれている。市民らは「世界が平和でありますように」などの願いを記入したLEDキャンドルを手に、「軸線」を歩いた。

同市中区の看護師、畑優子さん(39)は「世界各地で争いが起きる中、平和に普通の生活を送れることの大切さを改めて感じた」と話した。

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第6回平和学長会議で大学の役割を議論

持続可能な世界平和に向けた大学の役割を議論する「第6回平和学長会議」が6日、広島大東千田キャンパス(広島市中区)で開かれた。

広島大が主催する国際会議で、2024年8月に始まった。今回は欧米やアジアの11か国・地域の計17大学の学長や幹部らのほか、エジプトのモハメド・アブデルラティーフ教育・技術教育大臣らが出席。国内からは東京大や名古屋大など4大学も参加した。

越智光夫・広島大学長が「広島が被爆した日に平和のあり方を見つめ直し、議論を深めることは大変意義深い」とあいさつ。各大学から取り組みの現状などが報告された後、平和と持続可能性を推進する大学ネットワークの育成・拡大などを盛り込んだ「平和学長宣言」を採択した。

被爆者や遺族が平和への思い新たに

惨禍から81年がたった6日、被爆者や遺族らは平和記念公園など各地で、亡き人に語りかけ、平和への思いを新たにした。

父が入市被爆した多賀俊介さん(76)(広島市西区)は「呉市に住んでいた当時40歳過ぎの父は原爆投下翌日、広島市内に嫁いでいた姉と妹を捜しに来て被爆した。『ひどいもんじゃったよ』と言っていた。本川橋(広島市中区)のたもとに住んでいた姉は見つからず、妹は生き残ったものの、ガラスが体に突き刺さった。小学5年の時、その叔母から言われて足を触ると、足の中に残っていたガラスで皮膚が盛り上がっていたのを覚えている。世界ではいまだに戦争がなくならず、悔しい。被爆者の思いを語り継ぎたい」と話した。

祖父が亡くなり、父も被爆した山岡英次郎さん(47)(広島市安芸区)は「祖父は広島市内で被爆し、人を助けて代わりに亡くなったと聞いている。当時小学生だった父は(今の)安佐北区にあった学校で授業を受けていたという。原爆投下時、窓の方がピカーと光り、遅れてドカンという音が鳴った。その後、南区の自宅に歩いて帰ったが、市の中心部に近づくにつれて辺りは焼け野原になり、黒焦げになった人が倒れていたそうだ。今となっては父にもっと話を聞いておけばよかったと思う。10年ほど前から8月6日は毎年休みをとり、慰霊に訪れている。戦争は罪のない人々が苦しみながら死んでいく。二度と繰り返してはいけない」と語った。

小学2年で被爆し、祖母と父、兄を亡くした明崎豊子さん(89)(広島市安佐南区)は「父たちは自宅(広島市中区)で被爆し、骨も見つかっていない。父の社宅(同市南区)で母といた私は助かった。部屋で遊んでいると突然、爆風で窓ガラスが割れ、破片が障子に刺さっていた。近所の人気者で、優しさにあふれていた父を失ったことが何よりも悲しく、毎年泣きながら『また来たよ』と報告している」と話した。

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