戦時中に少年時代を過ごした出雲市斐川町の郷土史家、藤岡大拙さん(94)の体験や当時の心境を通して平和について考える企画展が、同市佐田町のスサノオホールで開かれている。30日までで、観覧無料。
Q&A形式で紹介する展示
平和学習に関わる出雲市の写真家、高嶋敏展さん(53)が発案。小学生役になりきった高嶋さんが、戦争に関する藤岡さんへの質問計33問をQ&A形式でまとめた。藤岡さんが所有する疎開児童の写真や、高嶋さんが市内で撮影した旧日本海軍大社基地の滑走路跡や米軍機の機銃掃射による鉄橋の弾痕の写真も並ぶ。
疎開の寂しさと空襲の記憶
藤岡さんの実家は保寿寺(斐川町)で、1944年9月から45年2月末まで、大阪市西区の西船場国民学校の6年男児が学童疎開で滞在。藤岡さんも同年代で、交流があったという。
疎開中の子どもの寂しさについての質問では「『欲しがりません勝つまでは』ですわね。戦争に勝つという思いが、子どもたちを支えていたんですわ」と紹介。戦争に勝てると思っていたかという問いには「そもそもの発想として、負けるだなんて思ってもいませんでした」とまとめた。
旧日本海軍大社基地周辺などが米軍機に襲われた45年7月28日の空襲については、「旧大社中学校に行こうとして平田の駅に向かって歩いていました。源光寺橋(現・瑞穂大橋付近)の南詰めを歩いていたらババーンと大きな音がして、本能的に走って橋の下に隠れました」と振り返った。同中の校庭には、付近で反撃のために高射砲を撃っていたのか、空薬莢(からやっきょう)がたくさん落ちていたという。藤岡さんも実物を見て、空襲を実感した。
藤岡さんの証言は約3時間に及んだといい、高嶋さんは「当時の少年のリアルな心情が伝わってきた。未来を生きる子どもたちに戦争の恐ろしさを伝えるきっかけになれば」と話している。



