学徒動員の兄被爆死、90歳弟が芳名板に名前見つけ「やっと実感」
学徒動員の兄被爆死、90歳弟が芳名板に名前見つけ実感

81年前の長崎原爆で壊滅的な被害を受け、多くの従業員や動員学徒が亡くなった三菱製鋼長崎製鋼所。その慰霊碑に1415人の犠牲者の名を刻んだ芳名板が新たに設置された。兄が製鋼所の学徒動員中に被爆死したことを昨年初めて知った千葉県の男性が三菱側に掛け合い、実現した。「一人一人が生きてきて、原爆の犠牲になったという証しになる」。男性は8日、現地を訪れ、名前を見つめた。

90歳の弟が兄の名をなぞる

男性は被爆者で弁護士の松本義信さん(90)(千葉県市川市)。8日、製鋼所があった場所を見下ろす聖徳寺(長崎市)を1年ぶりに訪問。境内の慰霊碑に取り付けられた金属製の芳名板を初めて確認した。縦1メートル20、横1メートル40の板いっぱいに並ぶ名前の中に、4歳上の兄・駒男さんの名を見つけ、文字をなぞりながら、こう語りかけた。

「兄貴、良かったね。本当に良かったね」

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製鋼所の被害と慰霊碑の歴史

市が編さんした長崎原爆戦災誌などによると、1945年8月9日、爆心地から1・2キロの製鋼所では、工場群がほぼ壊滅状態となり、折れ曲がった鉄骨や大破した機械設備が残った。多くの従業員や動員学徒らが犠牲になった。

慰霊碑は51年に建てられ、引き取り手のない遺骨が納められた。寺の住職によると、当時の社長が、工場一帯が見渡せるよう高台にある寺に建てたいと依頼したと伝えられているという。寺では毎年8月9日、製鋼所の慰霊祭が開かれている。

兄の最期と弟の思い

松本さんは81年前、国民学校4年の9歳で、長崎市内の自宅で被爆。旧制瓊浦中2年で13歳だった駒男さんは、空襲警報が発令されて学徒動員先から自宅に戻ったが、警報が解除された午前10時過ぎに再び外出し、行方知れずになった。

友人にいじめられている時に駆け付け、助けてくれた優しい兄。遺骨は見つからず、骨壺には制帽を入れた。動員先もはっきり聞かされておらず、「兄貴はどこかで生きているんじゃないか」とも考え、長崎を訪れては足跡を探してきた。

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