鉄棒で突き回し頭を銃で一撃…腹を割られ左前足をもがれたクマの死体が物語る人間の恐ろしい欲望
鉄棒で突き回し頭を銃で一撃…クマの死体が物語る人間の欲望

2026年5月にプレジデントオンラインで大きな反響を呼んだ人気記事ベスト3のうち、社会部門第3位は「鉄棒で突き回し、最後は頭を銃で一撃…腹を割られ左前足をもがれた"クマの死体"が物語る「人間の恐ろしい欲望」」でした。この記事は、NPO法人日本ツキノワグマ研究所理事長の米田一彦氏の著書『家に帰ったらクマがいた』(PHP新書)から抜粋されたものです。

高値で売れるクマを待つ地獄の扱い

20世紀の日本では、善良であるはずの農民やハンターによる密猟、名望ある養蜂家による背徳がクマの周りに蔓延していました。高価で取引されたクマは、東アジアで地獄のような扱いを受けることになります。米田氏はこれまでにクマの密猟を100例以上見てきたといいます。前職は秋田県生活環境部自然保護課で密猟を取り締まる立場でした。

広島に移ってからは、密猟されそうになったクマを救助し、300頭あまりを山に帰してきました。農民は怒りに任せて平然と密猟を行い、ハンターはサルやイノシシ、シカ、クマを除去するため農民の英雄と見なされ、警察の保安課員と強い結びつきを持っていました。県警保安課の銃器担当者が県猟友会の会長になった例もあるほどです。養蜂家はたいてい村の有力者でした。

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米田氏は学生時代、知り合いのリンゴ園に通ってクマを観察し、行われている原始的な被害対策を見てその努力に敬意を抱いていました。西中国に来て出会った密猟農家を犯罪者に仕立てるのではなく、彼らが密猟したクマを引き取り、奥山へ放獣する方法を取ったのです。

腹を割られ左足を奪われたクマの姿

県の事業への協力者という枠組みに入れることで、彼らが責任追及されない方法を取ったものの、この密猟は悪質でした。クマは腹を割られて胆嚢を抜かれ、左前足は肩から先が持ち去られていたのです。このような残酷な方法の密猟は初めて見たと米田氏は述べています。

複数人であればクマ1頭を担いで運んだでしょうが、解体したのは1人だったのでしょう。惨い姿になったこのクマを見た瞬間、米田氏は理解ができず、「大きなオスグマの仕業だろうか」と最初は思ったそうです。しかし、ドラム缶檻の入口は遠くへ跳ね飛ばされ、クマは外に出されて仰向けになっていました。1990年代、米田氏は広島県と島根県でテレメトリー追跡調査を行い、捕獲を行っていました。

ドラム缶檻の側面には通気、注射、観察用の直径25ミリの穴が多数開けてありましたが、その穴に鉄棒のようなものを差し込み、こじ開けようとした痕跡がありました。さらに、鉄棒でクマを突いた傷が多数、脇腹に残っていました。殺しきれなかった密猟者は銃を持ち出し、クマの頭を撃ってとどめを刺したのです。

ツキノワグマの生息数が西中国三県(広島県・山口県・島根県)でわずか250頭と言われていた時代、その貴重な1頭が無為に殺害されました。この場合、クマの所有者は米田氏ではなく、山野で自活する無主物であり、被害を訴える権利はありません。

漢方薬と珍味のために殺される命

クマは漢方薬の原料(特に胆嚢)や珍味(熊掌)として高値で取引され、そのために密猟が後を絶ちませんでした。人間の欲望が、こうした残酷な行為を生み出しているのです。

現代まで続くクマ取引の法的グレーゾーン

現在でもクマの取引は法的にグレーな部分が多く、完全に撲滅されていないのが実情です。歴史を紐解くと、クマの市場価値は異常に高く、合法という名の下で大量捕獲が行われた時代もありました。

この記事は、人間の恐ろしい欲望が野生動物に与える影響を深く考えさせる内容となっています。

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