生活保護申請で丸裸にされた思い…それでも前を向けた家族3人の覚悟
生活保護申請で丸裸にされた思い…それでも前を向けた家族3人

西日本在住の熊部悟朗さん(仮名・50代)は、物心ついたときには両親は離婚しており、母親に引き取られたが祖父母の家で育った。3歳時に性別違和を感じ、小学校では男の子と遊ぶ方が楽しかった。小5で母親が再婚すると、母親から暴力や精神的支配を受けるようになった。

子どもに無心を繰り返す親

短大卒業後、一人暮らしを許された熊部さんだったが、母親は金の無心を繰り返すようになった。家賃滞納や給料日前の借金の電話が毎月のようにあり、約束の期日に返ってこないことも常だった。弟をダシに使われることも多く、常に借金をしては母に貸していたという。

23歳の時、工場の職員から実家に匿名電話が入り、熊部さんは両親に「性同一性障害」であることを打ち明けた。妹には20歳の頃に話しており、母はとっくに疑っていたという。継父はボーイッシュだと思っていたが、少し混乱した。弟には母から口止めされていたが、妹が後日アウティングしたが、弟は特にショックも嫌悪感もなかった。

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母親の傍若無人ぶりにうんざりした熊部さんは実家から距離を置いたが、金の無心は続いた。弟は虐待や金の無心の事実を知らず、まっすぐ育ち、結婚して子どもにも恵まれた。熊部さんは「弟が知らなくていいことだと思う。もう僕にはできない親孝行を弟がしてあげればいい」と語る。

タイでの性別適合手術と妻の妊娠

35歳の時、派遣の仕事先で後に妻となる女性に出会った。妻は11歳年下で、ノーマルの人だが交際への抵抗はなかったという。出会って半年後に交際を始めたが、6年後、お互いに距離を置き考える期間を設けた。2年の間、妻はノーマルの男性と付き合い、熊部さんは性別適合手術の準備を進めた。

「長く同棲している間、いろんなことがありました。妻も、僕のような人間と結婚するのが本当に大丈夫か悩んだ時期もあったはずですし、出産の事も考えたに違いありません。だから話し合って、『しばらく好きに過ごしてみよう』となったのです。それでも妻は、『別れてきた。あなたの大事な瞬間に立ち会う』と戻ってきてくれました」

手術を受けるためにタイへ向かう日、妻は同行した。タイでの性別適合手術直後、妻が妊娠していることがわかった。遺伝子上の父親は妻が以前交際していたノーマル男性で、血のつながりはなかったが、無条件で受け入れた。

脳出血の後遺症と生活保護

その後、熊部さんは体調を崩し、生活保護を受給することになった。生活保護の窓口では「税金で食わしてもらうのか」という思いにかられ、丸裸にされた気持ちになったという。それでも、妻と息子の3人で前を向く覚悟を決めた。

物価高騰の中、息子が自閉症と軽い知的障害の診断を受けたが、生活保護を足がかりに再スタートを切った。

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