600年続く真夜中の神事、担い手不在で断絶の危機 松江・美保関
600年続く真夜中の神事、担い手不在で断絶の危機 松江

松江市美保関で約600年続く「神迎神事」が今年、大きな転機を迎えた。神事を担う執行役の氏子が一人もいなくなったのだ。夏を迎えた今も、模索が続く。

真夜中の神事、担い手不在

「お泊まりの方は、午後11時から午前5時まで明かりを消してください」――。5月に訪れた松江市・美保関のホテルのカウンターには、そんな注意書きが貼られていた。節電か施設メンテナンスのための消灯かと思いきや、違った。この地で600年続くという「神迎神事」が深夜に行われるからだという。だが、その神事は今年、大きな転機を迎えていた。執行役の氏子がいなくなったのだ。

美保関は、JR大阪駅から約6時間の鳥取県・境港駅から2台のバスを計30分乗り継いだ先、日本海の突き出た場所にある。奈良時代の文献にも名が残る歴史ある町で、本殿が重文指定を受けている美保神社は「えびす」信仰の総本山。何百年も昔から、神とともに生きてきた港町だ。

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厳しい修行としきたり

神社と氏子らの一年はこの神迎神事から始まり、無形民俗文化財にも指定されている翌年4月7日の「青柴垣神事」で終わる。神迎神事はその名の通り、神を迎えるために沖合3キロの「沖ノ御前島」まで船で向かい、神社の大后社に祭るという伝統行事だ。

祭りを担うのは、氏子代表の「当屋」やその経験者の「頭人」ら。彼らは「修行」と呼ばれる1年間、厳しいしきたりが課せられる。えびす神が嫌う鶏肉・鶏卵は食すべからず。けんかをしてはならない。そもそも怒ってはならない。人が多く集まるところに行ってはならない。髪を切ってはならない。家族からも「神主さん」と呼ばれ、食事は白木の台に載せて専用の膳と箸を使い、一人で食べる。風呂も一番風呂に限られる。

そして、祭りに臨むまで、「日参」と呼ばれる修行を毎晩、欠かさずに行う。人のいない深夜、多くは丑三つ時(午前2時)頃、紋付き袴と下駄を身に着け、海で身体を清めてから美保神社を含む6社を巡り、祈りをささげる。誰か人に見られると、やり直し。祈りのための唱え言は修行を終えたら忘れるものとする。なぜそのような厳しいしきたりが生まれたのか謎は多いが、先祖から親、子の世代へ、途切れることなく続けられてきた。

5月5日、神事の夜

5月5日午前2時、その時が来た。参道の「青石畳通り」は静まりかえり、外に出るのもためらうほど暗い。通り沿いの建物の電気が消されたのはもちろん、自動販売機には前面に段ボールが貼られていた。

突然、暗闇のしんとした空気を、太鼓の音が突き破った。それを合図に、神社から紋付き袴と下駄姿の氏子、神職、巫女ら約20人の列が進む。彼らは白い駕籠を肩にかけ、ちょうちんの明かりを頼りに、近くの港「宮灘」へ向かう。

宮灘につくと、一行は駕籠とともに漁船へ。神社がある山側からは太鼓、船中から雅楽演奏が響く中、沖に向かって出航した。月明かりに照らされた船のシルエットと雅な笛の音は、さながら神話の世界のよう。島根大2年の吉田智彦さん(19)も「幻想的で圧倒された。本当に現代なのかな」と感じ入った様子だ。

「帰ってきたね」。40分ほどたった頃、見守っていた住民の言葉で耳を澄ますと、遠くからかすかに笛の音が聞こえてきた。すぐに白い幕が両脇に広げられ、漁船から下りてくる駕籠はその内側に隠された。

戻ってきた船から下りた氏子は、神を乗せた駕籠を白い布で覆い隠して、列をなし神社まで戻っていった。神社では巫女の舞が奉納され、迎えた神に祈りを捧げる。神事が終わったのは、月が傾いた午前3時半頃だった。

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翌日の正午。神饌を食する「直会」が行われた。並んだのは、ゆでた里芋、ヒラマサの切り身、なます、日本酒、甘酒。「一献目」「二献目」「一品目」と声をかけながら、世話人の氏子が手順通りにお辞儀を繰り返し、食事をそろえていく。

「いつ修行をされたんでしたっけ」「平成のいつだったか」――。そんな会話を交わしながら食事は和やかに進む。宮司との話に花が咲く中、終盤には弁当が提供され、直会は解散。残ったヒラマサの切り身が配られ、一連の神事が終わった。

初めての担い手不在

一見、とどこおりなく終わった神事は、昨年までと決定的に異なる点が一つあった。厳しいしきたりに基づいて神事を担う「当屋」や「頭人」ら、修行中の氏子が一人もいなかったのだ。これまでも人手が足りず、一部で代役が務めたことはあった。しかし、誰もいなくなるのは初めてだった。暫定的な対応として、何年も前に修行を終えた「上官」だけが集まり、「仮」の当屋や頭人として役目を務めた。

生活様式が変わり、人口減少の波が押し寄せる中、毎夜の日参に代表される多くのしきたりの負担は大きい。30人ほどいた「直会」の参加者も今年は10人に満たなかった。ヒラマサの切り身が残り、参加者に配られることなど、かつてはなかったことだ。

住民の意見は割れる

神事を担う人がいない。ならばどうするか。住民の意見は割れる。

「入っていない米びつから、いくら米をすくおうとしてもできない。人が減っているのだから」。美保関で約90年続く酒屋の3代目、福田公一さん(85)はそう語る。約50年前に「頭人」を務めた「上官」。美保関で生まれ育ち、長く神事を見てきたからこそ、時代が変わったことを痛感している。「今はどうしても生活が先になってしまうから」

かつては、神事に合わせて学校が半日休みになることもあった。少子化で学校は合併し、地元の子どもたちも神事に親しむ機会は減り、住民の心からも遠くなった、と感じる。少子化や生活の変化は、仕方のないことだとわかっている。それでも、「神事があるからこそ、ここが特別であり続けるんだ。国譲りの出雲の言い伝えを後世に残すためには、続けていかんと」

福田さんが修行の末にたどり着いた「上官」までの道のりは遠い。4月の青柴垣神事で「当屋」に選ばれ、まず1年修行。その後も年単位の修行を繰り返し、最終的に5年ほどの修行を終える最後の年に、集大成となる「頭人」の役目を授かる。これを務めれば終身の役職「上官」となり、ようやく修行を終える。えびす信仰が根付いたこの地で役を得ることは生涯の栄誉であるとされてきた。かつては巫女のような役割も担い、お告げをしたり住民の悩み事を聞いたりしてきたという。

「希望者を公募したら」「移住者に協力を頼んでは」――。別の上官は、存続を願う住民らの要望を受け、対応に奔走してきた。役が不在の問題も1年かけて話し合い、今年の実施にこぎつけた。だが、多くの課題で意見はまとまらず、伝統をつなぐ難しさに直面している。「どうにかしなければならない。神事は『美保関の芯』だから」

神事に出席しないことを選んだ人もいる。

「自分も修行で苦労したからこそ、今、苦労をしている人を支えたいと思うんだ」と話すのは、今年の神事に出なかった上官の男性だ。当屋や頭人を欠けば神事は成り立たないと考え、「仮の頭人」で行われた神事に、出席する気にはなれなかったという。

伝統ある神事を人は「続ければいいのに」と言う。住民に担い手がいないなら、外から訪れる人の助けを得ればいいという話も出る。だが、「住民は続けることを望んでいる人ばかりじゃない」。当屋や頭人は氏子の代表であり、美保関の尊敬を集める存在だ。父、祖父、その祖先も同じように役目を全うしてきた。この地と歴史、自分がつながっている証しでもある。大切に思うからこそ、形を大きく変えてまで残すのではなく、終わらせる選択をしたいと感じる。「そんな安もんじゃないんだ」。男性は、ぽつりとつぶやいた。

神とともに生きるまちの未来

この町を歩くと、いたるところに神の存在が感じられることに気づく。ホテルの入口に飾られている置物はえびす神。商店の角打ちの台の奥には神棚。古くから立つ家は、道に面した場所に土間のような出入り口が設けられ、その奥に玄関が作られている。当屋の日参で下駄の音が聞こえた時、出くわさないように隠れるためだそうだ。

「神様を感じる瞬間とは?」。福田さんに問うと、「日参で拝殿への階段を上がっている時に、身体がびりびりとしたことがあった。おられると思ったね」とゆっくり答えた。

「神とともに生きるまち」が、この先どう変わっていくのか、夏を迎えた今も、答えはまだ出ない。だが、それは、一人一人に大切な思いがあるからこそ、ということにほかならない。福田さんは言う。「私たちのお祭りのこれからは誰が決める? それは自分たちしかいない。この地に生まれた誇りを守るためにも、なんとか、いい案を探したいんだ」