一卵性双胎(双子の胎児)の多くは、共有している胎盤でつながっている吻合血管をとおして、たがいの血液が両方の胎児の間を行ったりきたりしています。通常はこのバランスがとれている状態で発育していくのですが、なにかの拍子にバランスが崩れたとき、「双胎間輸血症候群」という予後のよくない病気を発症します。
いまはこのようなとき、お母さんの腹壁をとおして子宮内に細いスコープ(胎児鏡)を挿入し、胎盤上に無数に分布している血管から吻合血管を選びだしてレーザーで焼いていく治療法をおこないます。これが「胎児鏡下レーザー手術(FLP)」で、いくつかある胎児手術のなかの代表であり、かつもっとも成功している手術です。
FLP導入の初期と単独執刀への道
わたしがFLPを最初におこなったのは2007年で、国内ではたしか5番目と記憶しています。国外で何件かの手術を見学し、最初の手術のときは国内で先にはじめていた知人にいろいろ教えてもらい、2回目以降は基本的にはひとりでやることになったわけです。
手術中は突発的な事態がおきたり、執刀途中でにっちもさっちもいかない状況に陥ったりすることがままあり、執刀医にはパニックにならない強いメンタルが要求されます。なかにはこういった状況をある意味楽しみながら取り組めるひとがいて、まさにメッサー(執刀医)にふさわしい人間ですが、自分自身はまったくそうではありません。基本的に気が小さく臆病で、ひとには笑われるのですが、いまでも手術前夜からの緊張は尋常ではありません。まして未知の手術の局面を自分で判断し、自身の技量で切りひらいていくのはほんとうにストレスフルでした。
世代交代と若手への思い
この胎児手術を国内に導入し、定着させたわれわれ第1世代はそろそろ引退で、つぎの世代に手術手技を伝えて交代しつつあります。多くの経験に裏打ちされた指導のもとで新しい手術を体系的に学べる若手をうらやましく思います。しかし一方で、いかにささやかとはいえ、ゼロに近いところから切りひらいて胎児手術を確立していったことは、自分の人生にとって限りなく貴重な経験だったとも感じているのです。
家族の反対と中絶の苦悩
FLPを20年ちかく前にはじめたころは、内外から抵抗があってたいへんでした。妊婦さん本人とご主人に説明して緊急手術をしようとしたところ、妊婦さんのご両親が来て、「世間知らずのうちの子をだまして実験するな」と強く抗議されたことがありました。そんな難しい病気なら中絶しろ、研究のモルモットにするな、と。当の本人たちは下をむいたままでした。
泣く泣く双胎の子どもたちを中絶しました。どんなときでも患者をつきはなすなという師の教えにしたがって、憤りと悔しさに耐えながら中絶の準備を進めるわたしに、「あとはぼくがやっておきますから」と声をかけてくれた後輩には、いまも感謝の念しかありません。
双胎間輸血症候群の予後はFLPによって劇的に改善しています。手術はいま標準治療として認められ、保険適用にもなりました。あのときの双子はほんとうは助けられたのになあと、いまでもときどき思いだします。



