「努力の人」利根川進氏死去、免疫学と脳科学で世界をリード
「努力の人」利根川進氏死去、免疫学と脳科学で世界をリード

免疫学と脳科学の両分野で世界的な業績を残した米マサチューセッツ工科大学(MIT)教授の利根川進氏が亡くなった。1987年にノーベル生理学・医学賞を単独受賞した異色の研究者で、その死に関係者からは落胆の声が相次いでいる。

免疫学から脳科学へ、異色のキャリア

利根川氏は1970年代に遺伝子組み換え技術を駆使し、複雑な免疫システムを遺伝子レベルで解明。自ら「私たちの抗体の遺伝子を研究する仕事は、他の研究グループより2年は早かった」と振り返っていた。その後、脳科学に転身し、記憶の要である海馬の研究で記憶の分子メカニズムを解明。2008年には脳の神経回路のスイッチを自在に操作する手法「DICE-K(ダイスケ)」を開発した。これは当時レッドソックスで活躍した松坂大輔投手にちなんだ命名である。

「天才肌より努力の人」と関係者

約50年前にスイスのセミナーで利根川氏と知り合った東京大名誉教授の谷口維紹氏(78)は、「厳しい質問が飛ぶ中、堂々と自説を述べる姿が印象的だった。免疫学を分子レベルの学問に転換する道筋を切り開いた」と述懐。周囲からは「天才肌というより努力の人、情熱の人」「純真で、ケンカっ早く、無類の努力家」と評された。京都大卒業後、「日本の大学にいてはダメ」と米国に留学。当時、学部卒業後の留学は極めて珍しかったという。

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日本の研究環境への提言

利根川氏は「サイエンスに国境はない」「30代の若手研究者が十分に研究に打ち込めるようにし、日本にも世界的な規模で才能を集めた研究所を作るべきだ」と日本の研究環境について発言。一方で「科学者は自分の研究を、恋人を愛するように愛せないとだめだ」が持論だった。MITピカワー学習記憶研究所のミリアム・ハイマン所長は「生物学に対する理解を根本から変えた数少ない科学者だ」とコメントした。

後進への影響と最期の姿

2013~17年に利根川研究室で博士研究員を務めた東京大定量生命科学研究所教授の奥山輝大氏(42)は、「最期の瞬間まで研究を続けて論文を準備していた。好奇心を忘れず、子供のように楽しみながら科学に向き合っていた」と振り返り、「師であり、父であるような存在で、ぽっかり穴が開いたような気持ちだ」と声を落とした。

ノーベル賞受賞者からも悼む声

昨年、免疫学でノーベル生理学・医学賞を受賞した大阪大特任教授の坂口志文氏(75)は、「免疫学の根本問題を遺伝子レベルで解明した。その業績は、現在のがん免疫抗体など様々な免疫療法の基礎となるものだ」とコメント。1973年に物理学賞を受賞した江崎玲於奈・茨城県科学技術振興財団理事長(101)は、「日本人受賞者がまだ少なかった時代にノーベル賞を受賞され、国民にサイエンスへの関心を抱かせ、研究者には刺激を与えてくれた」と述べた。

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