宮沢賢治が愛した岩手山、その魅力と足跡を訪ねる旅
宮沢賢治が愛した岩手山、その魅力と足跡を訪ねる旅

宮沢賢治が生涯で三十回以上登ったとされる岩手山は、標高二千三十八メートル。盛岡市の中心部からもよく見え、片側が削げているような姿から「南部片富士」とも呼ばれる。賢治にとってこの山は、様々な鉱物がある場所であり、山岳信仰の象徴として、興味の対象が詰まっていた。

賢治が愛した登山道と神社

賢治は山の東側から入る「柳沢コース」を好んだようだ。現在は馬返し登山口(滝沢市)まで車で行けるが、かつては約三キロ手前の岩手山神社が登山コースの入り口だった。ご来光を拝むため、社務所などで休み、未明に登り始めるのが当時の一般的なスタイルだった。神社には古びた社務所が今も残り、宮司の小原友比古さん(五十八)によると、社務所は遅くとも大正四年までには建てられたと伝わる。「賢治もこの社務所で体を休めたのかもしれない」と小原さんは語る。

詩「岩手山」に込められた思い

詩「岩手山」はわずか四行で、内容もおどろおどろしい。この詩を書いたのは、信仰追究のため上京したものの、妹の病気で帰郷し、農学校教諭として“就職”した頃。信仰を取るか、家族や就職を取るか、生き方を巡り揺れていた。宮沢賢治記念館(花巻市)の牛崎敏哉館長(七十一)は「雄大な山に、暗いものを抱えた自分を対比させたのでは」と解釈する。詩の前半で地上から空を見上げ、後半ではるか高みから見下ろし、標高二千メートル超の山を「底に」「澱むもの」と描く。ダイナミックな視点の切り替えは「映画のようだ」と牛崎館長は評する。

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賢治の足跡をたどる周辺スポット

登頂後に岩手山南麓、標高七百五十メートルの網張温泉に寄り、入浴したこともあったようだ。中学二年の時、父にあてた手紙で「網張の宿料は三十銭ばかりなり」と、一泊したことを伝えている。現在は五つの温泉と眺望を誇る宿泊施設「休暇村岩手網張温泉」(雫石町)がある。鎌尾宗慶支配人(五十四)は「新しいものが好きだった賢治が、体験しに来たのでは」と推測する。

山の北東側には、一七〇〇年代の噴火で流れ出た溶岩が冷えて固まり、積み重なった焼走り熔岩流(八幡平市)がある。黒々とした溶岩が視界を埋め尽くし、賢治が詩「鎔岩流」で書き残した通り「一ぴきの鳥さへも見えない」。

麓に広がる小岩井農場(雫石町)は、賢治が何度も訪れた場所で、五百九十一行もの長編詩「小岩井農場」も書いている。一八九一年(明治二十四年)開設。火山灰地の荒野は農業に向かなかったため、土地改良を行い、牧畜業中心に転換、近代化を実現した。現在は一大観光地で、動物とふれあえる「まきば園」は家族連れでいっぱいだ。草原の向こうに岩手山を眺めながら、手作りチーズを使ったピザと瓶の牛乳で昼食をとった。回転扉で外に出て、同農場の酪農発祥の地、上丸牛舎に向かう。一九〇八年から三十五年に建てられた牛舎、日本最古とされるサイロなどが国の重要文化財に指定されている。奥には賢治の詩碑もあった。

小岩井農場のソフトクリーム

小岩井農場の牛乳は全国的な知名度を誇り、その新鮮な味わいを生かした「小岩井農場ソフトクリーム」(五百円)は名物のひとつだ。濃厚だが甘すぎず、さっぱりとしている。小岩井農牧製乳工場主任の高橋ほたるさん(三十四)は「製造当日、牛舎から集乳した牛乳を使用し、当日に全部使い切って翌日に残さない。新鮮な状態で加工しています」と語る。ソフトクリームの販売は二〇〇〇年代からなので、賢治は食べていないが、賢治が小岩井農場を訪れていた百年前にはすでに牛の乳を搾っていたという。

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ルートは、東京駅から東北新幹線で盛岡駅まで約二時間十分。盛岡駅から小岩井農場までタクシーで三十分から四十分。網張温泉や焼走り熔岩流などを巡るには車が便利だ。問い合わせ先は、しずくいし観光協会(電)019・692・5138、八幡平市観光協会(電)0195・78・3500。