男系男子は伝統か、井上毅の「発見」を再考 皇室典範改正を明治研究者が語る
男系男子は伝統か、井上毅の「発見」を再考 皇室典範改正を明治研究者が語る

改正皇室典範が10月24日に施行される。男系継承が色濃く反映された一方で、「男系男子による皇位継承」は明治時代に初めて明文化され、「古来の伝統」との主張に懐疑的な見方もある。この間の議論を明治立憲体制の研究者はどうみたのか。国際日本文化研究センターの瀧井一博教授は、男系継承よりも重要だとする今後の論点を指摘する。

明治時代に明文化された背景

過去には女性の即位や、母から子への皇位継承もみられたが、明治時代に男系男子による皇位の継承が大日本帝国憲法と旧皇室典範で初めて明文化された。その背景について瀧井教授は「時代の要請と国際標準に合わせた結果」だとみる。

当時の欧米列強をみれば、君主はみな軍の最高司令官で、その多くが男性であって「軍服」を着る。明治天皇も即位から数年で軍服を着て人前に姿を現した。日本も欧米列強の国際秩序の中に参画していこうとするならば、同様の「君主」を持つ「文明国」となる必要があった。幕末以降に結んだ「不平等条約」の改正を目指す日本にとって、国家のあり方はグローバルスタンダードにかなう必要があったのだ。

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英国など一部では女王の例もあったが、ドイツなど多くの欧州大陸の国々では男系男子による継承が原則だったので、日本はそちらを選択したという。

井上毅の「発見」とシュタインの助言

明治憲法の起草を主導した初代内閣総理大臣の伊藤博文は当初、女性による皇位継承も容認していた。しかし、最終的に「男系男子」に限定された。伊藤は、過去には女性天皇も存在したので、女性にも継承権があるということが歴史にも則したものだと理解していた。ただ、当時の法制官僚で、明治憲法の「真の起草者」とも評される井上毅が、研究の結果、歴代天皇はすべて「男系」であるということを「発見」したのだ。

伊藤ら明治の要人が学んだ欧州の学者からも「男系男子」に限った方がシンプルで良いという助言が寄せられた。伊藤博文が「憲法の師」としたウィーン大教授、ローレンツ・フォン・シュタイン(1815~90)による助言だ。明治中頃に日本から数多くの要人がウィーンまで教えを請いに行く「シュタイン詣で」という現象が起きたことで有名である。伊藤が1882年に憲法調査のため渡欧した際にシュタインのもとを訪ねたのがきっかけで、以降、皇族や明治天皇の側近も含め多くの日本人が面会している。

シュタインのアドバイスは、皇位継承の際に混乱が起きないようにあらかじめ継承順位はしっかりと法定しておくべきだということだった。その上で、まずは男系男子、なかでも長子が優先することや嫡出子が原則であることなどの考えを示し、明治憲法や旧皇室典範の制定作業に大きな影響を与えたと考えられる。

「伝統」主張への懐疑と今後の論点

瀧井教授は「『男系男子による皇位継承』があたかも古来の日本の唯一の原理だというふうな主張は説得力に欠ける」と指摘する。明治時代に皇位継承がどのように定められたのかを踏まえ、今後どのような議論が求められるのか。伊藤博文、井上毅がもし今いたら、と瀧井教授は問いかける。

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