外資系投資銀行で年収1100万円を得ていた東大卒の田中優輝氏は、就職から9カ月で退職し、現在は刺繍作家として活動している。著書『東大卒、年収1100万をやめて刺しゅうをはじめたワケ 冷めたまま働きつづける前に』(世界文化社)を出版した田中氏は、「自分の感情が動く瞬間には本音が隠れている。自分が自分に戻れる場所はどこか。それを確かめてみると、次の選択肢が見えてくる」と語る。
コスパを捨てて初めて仕事ができた
田中氏は現在、北区の小さな工房で糸を選ぶ日々を送る。夏の終わりの夕方、メンバーとお茶を飲みながら来週リリースする犬の刺しゅうの色を決める。一つの作品を届けるために40個の試作をする。コスパで考えれば途方もない無駄だが、その無駄の中にこそ自分がいるという。
外資系投資銀行にいた頃には、その感覚がなかった。外銀のフロアに自分の重みはなく、朝来てエクセルを開き、資料を直し、深夜に帰る。仕事は回っていたが、その中に自分の名前が入っている感じがしなかった。いなくても誰かが同じ画面を開き、同じ数字を直す設計の場所だった。
「感情が動いた」瞬間に隠れている本音
田中氏が外銀を辞めたのは、あの場所で自分を取り戻す方法が見えなかったからだ。異動を希望する、上司に相談する、仕事の角度を変えるといった選択肢が頭に浮かんでも、どれも自分の答えに見えなかった。9カ月、その感覚を持ったまま毎朝出社していた。
選択肢が見えないとき、考えても答えは出てこない。行き詰まった頭で考えても「辞める」か「残る」かの二択だけだ。田中氏が気づいたのは、選択肢は感情が動いた場面の中に眠っているということ。特にヒントになるのは、いつ、どこで、自分が笑えていたかだ。田中氏の場合、それは深夜1時のコンビニで、同僚のニッシーと外に出て、たいした話もせず、たいしたものも買わずに歩く5分だった。エクセルの数字で埋まっていた頭が、その5分だけ自分の頭に戻ってきた。
「外銀の田中ではなく、ただの田中に戻れる時間。感情が動く瞬間には本音が隠れています。自分が自分に戻れる場所はどこか。それを一度、確かめてみてください。そこから次の輪郭が見えるはずです」と田中氏は語る。



