AI特需のマレーシア、日本と80年の資源開発の歴史と構造的問題
AI特需のマレーシア、日本と80年の資源開発の歴史

マレーシアでAI特需が沸き起こる中、日本が同国と関わってきた80年以上にわたる開発の歴史と、資源をめぐる構造が改めて注目されている。ジョホール州のテックパークにデータセンターが建ち、投資が集まる一方で、過去の資源開発の経緯を振り返る必要がある。

日本軍による石油接収の歴史

第2次世界大戦中、日本軍の侵攻部隊には約150人の石油技師が同行していた。接収した油田では直ちに復旧作業が始まり、ミリは日本軍の南方作戦を支える重要な石油供給拠点となっていった。

クチンには、日本軍の占領行政拠点として使用された「ジャパニーズ・ビルディング」が現存する。

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木材輸出への抗議と転換点

先住民族ダヤックの文化と言語を守るNGO「SADIA」事務局長のニコラス・ムジャ氏は、90年代後半にサラワク北部のミリで石油会社に勤めていた。ある日、6人の白人女性に道案内をしたことで警察に拘束され、1日半の尋問を受けた。のちに報道で、彼女たちがグリーンピースのアクティビストであり、日本企業の木材伐採に抗議するため、タグボートに鎖でつながる抗議活動をしていたことを知った。

ムジャ氏は「あとから知って、驚きました。ペナン地域からの日本への木材輸出を止めようとしていたのですね。森林で生まれ育った人間として、自分も何かしなければと思いました」と振り返る。

半世紀前に日本軍が上陸し接収した場所で、今度は日本向けの木材輸出に抗議する声が上がった。石油から木材へと変わっても、日本がサラワクから資源を運び出す構図は変わらなかった。これを転換点に、ムジャ氏は石油会社を辞め、環境保護と先住民の権利擁護に身を投じた。

戦後から続く資源輸入の構造

環境NGO「サラワク・キャンペーン委員会」によると、日本は1960〜70年代にはフィリピン、次いでインドネシア、そして1970〜90年代にはマレーシアのサバ州、続いてサラワク州から大量の熱帯材丸太を輸入し、地域の熱帯材の枯渇を招いてきた。特に1985年のプラザ合意以降の急激な円高は木材輸入全体を押し上げた。

その主要な供給地のひとつがサラワクだった。高度経済成長期の日本の建設需要を支えたのは、サラワクの森だった。このような歴史を踏まえ、現在のAI特需に沸くマレーシアでの開発が、どのような構造を生むのかが問われている。

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