東京・大手町から地下鉄でわずか3駅の場所に、市街地再開発事業が行われず、タワーマンションや超高層ビルが一棟もない街が存在する。文京区の根津だ。ショッピングセンター研究家・ライターの坪川うた氏が、緻密なリサーチとフィールドワークで送る連載の第6回では、この「再開発されない街」の背景に迫る。
大きく3つの雰囲気を持つ街
根津を歩いてみると、この街は大きく3つの異なる雰囲気に分かれていると坪川氏は感じたという。1つ目は、幹線道路沿いの地元住民による賑わいだ。根津には東京メトロ千代田線の根津駅があり、駅の出口は不忍(しのばず)通りという幹線道路に面している。不忍通りには10階程度の中高層マンションが並び、その1階には店舗が入っている。平日昼間でも人通りがあり、活気が感じられる。
根津駅前では、不忍通りともう一つの大通り、言問(こととい)通りが交差している。言問通りには統一された街路灯とフラッグが見え、ここが商店街であることを知らせている。「根津銀座」だ。根津銀座には、主に3階建てくらいの店舗兼用住宅が並ぶ。チェーン店や新しそうな店舗のほうが目に付くが、歴史を感じる商店も構えている。飲食店をメインに歯科や薬局など、日常生活に便利な店舗がそろう。根津銀座も平日でも人の往来が多い。
2つ目の雰囲気「路地の魅力」
2つ目は、路地の魅力だ。根津の路地は狭く入り組んでおり、昭和の趣を残す家屋が立ち並ぶ。これらの路地は、かつての遊郭や私娼街の名残をとどめており、独特の風情を醸し出している。再開発の波を逃れたことで、こうした歴史的な景観が今も残っている。
3つ目は、根津権現(根津神社)を中心としたエリア。根津神社は江戸時代から続く由緒ある神社で、その周辺には静かな住宅街が広がる。このように、根津は一つの街でありながら、賑わい、路地の風情、神社の静けさという3つの顔を持つ。
根津権現の造営を機に街が繁栄
根津の歴史を紐解くと、江戸時代に根津権現(現在の根津神社)が造営されたことを機に、門前町として発展した。その後、江戸随一の私娼街として繁栄し、多くの遊女や客で賑わった。しかし、東京大学の開設により学生が遊郭に通うようになり、学問に励まない学生が増えたことから、遊郭は他の地域に移転させられたというエピソードがある。
さらに、関東大震災や第二次世界大戦の戦災を経験しながらも、根津は再開発の対象とはならず、昔ながらの街並みを残してきた。バブル期には地上げの波が襲ったが、大規模な再開発には至らなかった。
バブル期に襲った地上げ
バブル経済期、東京の多くの地域では地上げが横行し、高層ビルやマンションが次々と建設された。根津も例外ではなく、地上げの対象となったが、地権者や住民の反対により大規模な再開発は実現しなかった。その結果、現在もタワマンや超高層ビルが建たず、昭和の雰囲気を色濃く残す街となっている。
坪川氏は「根津は東京都心でありながら、再開発の波を巧みに逃れてきた稀有な街」と評する。大手町から3駅という好立地でありながら、歴史と文化を守り続ける根津は、東京の多様な顔の一つを示している。



