日本の原油輸入の9割超が通ってきたホルムズ海峡が、2月末の米国とイスラエルによるイラン攻撃を受け、機能不全に陥った。2度の石油危機を経てもなお、脱中東依存が進まなかったのはなぜか。今回の危機が投げかける教訓とは――。
「本当に封鎖されるとは考えていなかった」
ある資源エネルギー庁の元幹部は、取材に対し「本当に封鎖されるとは考えていなかった」と証言した。リスクを知らなかったわけではない。1970年代の2度の石油危機後、政府は中東依存の危うさを認識し、原油調達先の多角化を模索した。
だが、第1次石油危機が起きた73年当時、田中角栄首相の秘書官だった小長啓一(95)は「資源量やコストの面から見て、中東に匹敵するようなソース(供給源)は見つからなかった」と説明する。
多角化の模索と限界
79年には第2次石油危機も起き、日本はエネルギー安全保障の脆弱さを突きつけられた。原油調達先の多角化に、後に通商産業省(現経済産業省)事務次官となる小長も深く関わった。
中国やインドネシアからの輸入を増やすとともに、南米やオーストラリアでの資源開発の可能性を探った。73年度に77.5%だった原油輸入の中東依存度は87年度に67.9%までいったん下がった。
だが、小長は早い段階で限界も感じていた。「脱中東」より「親中東」の姿勢が強まっていく中で、日本のエネルギー安全保障の「急所」は今も変わらずホルムズ海峡に残されている。



