職場の人間関係を円滑にするにはどうすればよいのか。福厳寺住職の大愚元勝和尚は、仏教の教えに基づき、人を動かすには雄弁さよりも誠実さのある言葉が必要だと説く。特に上司が饒舌だと、部下に対して中身の薄さを示すことになるため注意が必要だという。
部下が言うことを聞かないのは“おしゃべり”のせい
仏教の最初期経典『スッタニパータ』には、「深い学識あり、技術を身につけ、身をつつしむことをよく学び、言葉が見事であること――これがこよなき幸せである」(261番)と記されている。リーダーの多くが「部下が言うことを聞いてくれない」と悩むが、その理由のひとつは「リーダーの言葉が見事ではないから」だと大愚和尚は指摘する。
経典が説く「言葉が見事である」とは、雄弁に話すことでも、言葉巧みに相手を操ることでもない。欲に駆られた言葉、怒りに任せた言葉、相手を傷つける言葉を避け、「相手を思いやる言葉」「真理に基づいた誠実な言葉」を使うことである。「見事な言葉」に饒舌さは不必要であり、饒舌さは「中身の薄さ」を覆い隠す場合がある。聞き手はその場では感心しても、あとで「何を言っていたんだっけ」と中身が残らないことが多い。
おしゃべりなリーダーには以下のようなマイナス面がある。話しすぎると「また始まった」「いつもの話か」と聞き流され、重要な言葉も届かなくなる。自分の話ばかりしていると「部下に耳を傾けていない」と思われ、信頼を損なう。長々と話すことで要点が伝わらず、部下が何を実行すべきかわからなくなる。
ブッダ「欠けている足りないものは音を立てる」
仏教経典には、言葉のあり方について示唆に富む教えが数多く説かれている。『ダンマパダ』363番には「口をつつしみ、思慮して語り、心が浮つかず、真理を明らかにする人――その説く言葉はやさしく甘美である」とある。軽率に発せられる言葉は人を不安にするが、節度を守り、よく考え、落ち着いた心から真実を語るなら、その言葉は自然と人の心に響く。やさしく甘美とは、表面的なやさしさではなく、聞く人を安心させ、信頼を育み、前へ進ませる力を持つことを意味する。
また『スッタニパータ』721番には「欠けている足りないものは音を立てるが、満ち足りたものはまったく静かである。愚者は半ば水を盛った水瓶のようであり、賢者は水の満ちた湖のようである」と説かれている。空に近い容器を振ればカラカラと鳴るが、中身の詰まった容器は振っても音がしない。小動物ほど落ち着きなく鳴き続け、百獣の王ライオンはめったに吠えない。この比喩は、中身のない人ほどおしゃべりであることを示している。
尊敬できる先輩や師は「寡黙」
大愚和尚は、多くの人が経験的に「尊敬できる先輩や師は寡黙である」と感じていると述べる。実際、職場で信頼されるリーダーは、必要最小限の言葉で本質を伝え、部下の話を丁寧に聞く傾向がある。逆に、話しすぎる上司は「自己中心的」に見えやすく、言葉が軽くなりがちだ。
『ダンマパダ』では、怒りに任せた言葉や軽率な発言を戒め、落ち着いた心から発せられる言葉こそが人を動かすと説く。リーダーが口数を減らし、誠実な言葉を選ぶことで、部下からの信頼は自然と高まる。
「尊敬できる人の厳しい言葉」は受け入れられる
一方で、厳しい言葉であっても、日頃から誠実さを示しているリーダーから発せられれば、部下は真摯に受け止める。大愚和尚は、怒鳴るリーダーに足りないのは「一貫性」だと指摘する。感情に任せて叱るのではなく、一貫した基準で冷静に指導することが重要である。
仏教では、思いやりと厳しさを両立する三つの要素として、「慈悲」「智慧」「勇気」を挙げる。慈悲は相手を思いやる心、智慧は状況を正しく見極める力、勇気は必要なときに厳しい言葉を伝える覚悟を意味する。この三つを備えたリーダーは、部下から自然と敬意を集める。
モチベーションは“与えられるもの”ではない
大愚和尚はさらに、部下のモチベーションについても仏教の視点から解説する。報酬や昇進、賞罰といった外的要因だけでは持続的な意欲は生まれない。『スッタニパータ』は「何のために、誰のために」という内発的な問いを繰り返すことの重要性を説いている。
リーダーは、部下に「やらされる」感覚ではなく、「自らやりたい」と思える環境を整えるべきである。そのためには、リーダー自身が静かに、しかし確かな言葉でビジョンを示し、一人ひとりの存在意義を認めることが不可欠だ。
本稿は、大愚元勝『リーダーの器量を問う禅 感情に流されず正しく決断するための「整える」技法』(日本能率協会マネジメントセンター)の一部を再編集したものである。



