「銀河鉄道999」「ガンダーラ」「モンキー・マジック」――躍動感あふれるリズムと伸びやかな英語の歌声。ゴダイゴのメンバーで音楽家のタケカワユキヒデさん(73)の紡ぎ出す音楽は、多くの人たちを魅了してきました。ビートルズに衝撃を受け、「英語で歌いたい」と志した原点と、時代や常識にあらがいながらそれを貫いてきた歩みを、上中下3回で紹介します。
ビートルズとの出会い
――初めて外国語に接したのはいつだったのですか。
僕が小学校に上がるか上がらないかといった頃、テレビの「ザ・ヒットパレード」という番組でアメリカンポップスを聴きました。いやあ、かっこよかったですね。僕が一番好きだったのは、ニール・セダカの「恋の片道切符」。歌い出しの「チューチュートレイン」を、僕が学校でもずっと歌っていたら、いつの間にか隣の席の子も「チューチュートレイン」とやっていたぐらいです。
小学校6年生の夏、ビートルズの映画「ハード・デイズ・ナイト」(邦題「ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!」)を、兄貴と一緒に父親に連れられて見に行きました。これでもう参っちゃいました。夢中になって「自分はビートルズになるんだ」と思ったんです。
音楽環境と作曲の始まり
――音楽との出会いはどのようなものでしたか。
幼稚園の頃からバイオリンを習っていました。父が音楽大学の教授で、母はバイオリンメーカー創業者の孫。母はピアノの名手だったのですが、父は子どもの頃から音楽に触れていたわけでなかったので、子どもたちには音楽を習わせようと、兄2人にはピアノを、僕にはバイオリンをやらせたんです。そのときに、楽譜を見て歌ったり音を聴いて楽譜に書いたりするソルフェージュも習ったことが、後に僕にとっての最高の財産になりました。
――自分で曲も作れるようになったのですね。
小学4年から作曲はしていました。中学1年のときに、ビートルズのコピーバンドを友だちと作りました。バンドのオリジナル曲は絶対に英語の歌詞にしたかったので、ある時、メンバーのひとりが日本語で歌詞を書いてきて、僕がそれを和英辞典を引きながら訳そうとしました。でも、それまで和英辞典なんて使ったことがないから、訳し始めてすぐに無理だと思いました。
後でわかったんですが、曲のサビで「ありがとう ただこれだけ」という詞があって、ここの「ただこれだけ」は「唯一」の意味なんですけど、僕は辞典のたくさんある訳の中から「only this much(たったこれっぽっち)」を選んでしまった。それ以来、曲作りはしばらく封印しました(笑)。
発音練習とリエゾンの習得
ビートルズのレコードを聴きながら、一緒に歌う練習もよくしました。歌いながら、自分の声の出し方や発音がずれていたらビートルズの声が聞こえる、ぴったり合っていたら自分の声しか聞こえないことに気づきました。そこで、ビートルズの声が聞こえなくなるまでそっくりに歌おうと頑張りました。
その中で、単語と単語の音がつながって発音される「リエゾン」なども学びました。例えば歌詞の中の「them at all」というフレーズが、なかなかうまく音をつなげられなくて苦労したことを覚えています。
高校での曲作りの再開
――高校生になると、英語や音楽への向き合い方はどうなったのですか。
高校2年の4月だったと思いますが、英語の授業のときに、突然「I'll make you say you love me too.(「私もあなたが好き」と君に言わせる)」というフレーズがメロディーと一緒に頭に浮かんできたことがありました。それで「It's true(それは本当だ)」を付けて、「true」と「too」で韻を踏むとかっこいいな、という具合にしてつなげていって。パズルを解くように曲の1番の部分ができてしまいました。ふと前を見たら、すでに英語の授業は終わって、国語の授業になっていたんですけど(笑)。
でもそれから、せきを切ったように曲が……。この続きは、有料記事でお読みいただけます。



