「釣りバカ日誌」の原作者として知られるやまさき十三さん(本名・山崎十三)は、宮崎県都城市で生まれ育った。中学時代は野球部に所属し、当時としては大型の1メートル70超の体格を生かした速球を武器に投手として活躍。3年時にはチームの県大会優勝に貢献した。
野球部での活躍と恩師の存在
野球部で捕手を務めた同級生で、現在は不動産業を営む篠原秀靖さん(84歳、都城市在住)は今もやまさきさんと連絡を取り合う間柄だ。篠原さんは「とにかくコントロールが良く、構えたところに球が来た」と当時を振り返る。
実績を買われ、やまさきさんは宮崎市の野球強豪校であり進学校でもあった県立宮崎大宮高校へ進学した。「家からは通いきれず、野球部長だった先生の家に下宿させてもらった」と語る。
甲子園出場と盗難事件
1年生だった1957年、同校は夏の甲子園に出場した。しかし、やまさきさんはベンチに入れない控え選手で、快勝した初戦はスタンドからの応援だった。その夜、部員たちの宿舎で“事件”が起きた。控え選手たちの大部屋で寝ていると、何かが足に触れる感触に気づいた。並んで干してある部員たちの衣類のポケットを誰かが探っている。自分のズボンには母親がくれた3000円が入っていた。「誰だあんた」と声をかけると男が飛びかかってきた。とっくみあいの末に男は逃げたが、その後、警察につかまった。
翌日、宮崎の新聞には初戦に勝った宮崎大宮ナインの様子を伝える記事の横に、この大捕物も「ドロ棒を『シャットアウト』」の見出しで紹介された。「補欠の山崎君」が活躍したことも書かれていた。
野球断念と映画監督への夢
その後、やまさきさんはけがと病気で野球を断念。学校帰りには映画館に通い詰め、銀幕の監督を志すようになった。1浪して早稲田大学に進学し、映画製作の道へ進んだ。この経験が後の創作活動に大きな影響を与えたとされる。



