小椋佳氏、「夢芝居」ヒット予想せず 美空ひばりさんへの指導も語る
小椋佳氏「夢芝居」ヒット予想せず 美空ひばりさん指導語る

シンガー・ソングライターの小椋佳氏が、梅沢富美男さんの「夢芝居」について「全然、あの『夢芝居』が売れるなんて思わないですよ」と振り返った。作詞・作曲を手がけた小椋氏は、依頼された当初は乗り気ではなかったという。

「夢芝居」誕生の経緯

小椋氏によると、依頼は梅沢さん本人からではなく、キングレコードに転職したディレクター志望の人物を通じてだった。その人物は小椋氏のファンで、「何としても創ってもらいたい」と依頼に来たという。依頼内容は「旅芸人さんのための演歌を」「受けるヤツを一つ」というものだった。

梅沢さんは役者さんなのでデモテープを聞いたが、「あまり歌がうまいと思わなかった」と小椋氏は当時の印象を語る。さらに、ある日ゴルフが雨で中止になり、午前中に女性童謡歌手から依頼されていた童謡を創作。午後に旅芸人さんの歌に取り掛かったが、面倒になり、創った童謡のメロディーを短調に変えて詞をのせたのが「夢芝居」だったという。

ヒットの意外なきっかけ

「夢芝居」は売り出し当初から売れたわけではなく、半年ほど経ってからだった。そのころは「夢芝居がダメだったら、別の曲にしよう」と言い、「演歌みたいな別れでも」という演歌の曲を創った。すると、その曲を売り出し始めたら「夢芝居」が売れてきたという。

小椋氏はこの時期、研ナオコさんの「泣かせて」、堀内孝雄さんの「愛しき日々」、美空ひばりさんに提供した「愛燦燦」などヒット曲を連発した。「愛燦燦」は味の素のCMのために、映像が先にできていてそれに合う曲として依頼された。最初は美空さんが歌う予定ではなく、大農家の主婦がイメージだったという。

美空ひばりさんへの指導

「愛燦燦」もヒットするとは思わなかったと小椋氏は語る。美空さんが平成元年に亡くなった後、「ひばりさんが自分の人生を歌った歌だ」と言われるようになり、亡くなられてから売れた。日本コロムビアは「愛燦燦」の在庫が足らないと言われたという話を聞いたと明かした。

レコーディングの際、小椋氏は美空さんに歌を指導したこともあった。美空さんは歌声が下から上へ上がるとき、大げさにしゃくり上げるように歌うため、「しゃくり上げると歌を下品なものにしちゃうからやめましょう」と伝えた。美空さんはすぐ修正してくれたといい、小椋氏は「さすがに、僕も気がねしながら言いましたよ」と振り返った。