美輪明宏さん死去、91歳
歌手で俳優の美輪明宏さんが20日に亡くなった。91歳だった。ヒット曲「ヨイトマケの唄」や舞台作品「黒蜥蜴」などで知られ、近年は辛口のご意見番として親しまれた。本記事では、評論家・佐高信氏の著書『昭和に挑んだ作家たち』(平凡社新書)より、三島由紀夫との交友を中心に一部を紹介する。
三島由紀夫との出会いと幼少期
三島由紀夫は、当時16歳だった美輪明宏と出会い、人生が変わった。以来、10歳の年齢差を越え、親密な交友関係を続けた。三島の幼少期について、岡村青は『三島由紀夫と森田必勝』(光人社NF文庫)で、虚弱で病的な祖母にペットのように育てられ、外出もままならず、遊びもおはじきやままごと、折り紙などの女児向けに限定されていたと記している。後年の肉体強化や武力信仰は、その反動だった可能性がある。
徴兵検査と父の記録
三島は徴兵検査で第二乙種となり、戦局の逼迫で入隊検査を受けたが、風邪による高熱で肺浸潤と診断され即日帰郷を命じられた。付き添った父・平岡梓は『伜・三島由紀夫』(文春文庫)で、その後の逃走劇を「門を一歩踏み出るや伜の手を取るようにして一目散に駈け出しました。早いこと早いこと、実によく駈けました。しかもその間絶えず振り向きながらです。これはいつ後から兵隊さんが追い駈けて来て、『さっきのは間違いだった、取消しだ、立派な合格お目出度う』とどなってくるかもしれないので、それが恐くて恐くて仕方がなかったからです」と描写。西部邁は対談で「お父さんが裏で手を回したという説もあります」と述べている。
「ノーベル賞が欲しい」への痛烈なタンカ
美輪明宏は三島由紀夫に対して、時に痛烈な言葉を投げかけた。三島が「ノーベル賞が欲しい」と言った際、美輪は「そんなもの、欲しがるもんじゃないわよ」と切り返したという。また、三島が「全部、与えられた人生だった」と語ったことに対しても、美輪は厳しい指摘をしたとされる。
300本のバラの別れ
三島由紀夫が自決する直前、美輪明宏のもとに300本のバラが届けられた。美輪はこれを「今生の別れ」と悟ったという。三島の死後、美輪はそのバラをどう扱ったかについて、詳細は明かされていないが、深い友情の象徴として語り継がれている。
美輪明宏の生涯と功績
美輪明宏は1935年生まれ。歌手として「ヨイトマケの唄」が大ヒットし、俳優としても舞台や映画で活躍。晩年はテレビ番組で辛口のコメントを述べ、多くの視聴者から支持された。その人生は、芸能界のみならず、文学界や思想界にも影響を与えた。



