漫画原作者の武論尊さんが、青年誌「ヤングマガジン」創刊時の思い出を語った。創刊に尽力し、売り上げ低迷で休刊寸前だった雑誌を『酎ハイれもん』のヒットで救ったという。
創刊時の若手漫画家たち
武論尊さんは、ヤンマガ創刊時について「弘兼憲史さんとか、柴門ふみさんとかも、まだ新人だったんですよ。もう、そういう人たちで作るしかない雑誌だったんで」と振り返る。当時の自分は「かなり〝先生〟的な扱いでしたね」と語った。
集英社のように青年誌をやりたいと言われ、「じゃあ、コメディーでいい?」と尋ねると、漫画家の小野新二さんを紹介された。その絵に合うものとして生まれたのが『OH!タカラヅカ』だ。
『OH!タカラヅカ』とエロチックな表現
青年誌ならエロチックなシーンを書けると楽しみだったという。少年誌では恋愛ものは書けても、エロチックなシーンはあまり書けず、『ドーベルマン刑事』でも性犯罪はあくまで犯罪描写だった。そこで「女子高の教師を題材にしようと。それはもう、憧れだったんで」と笑う。
『OH!タカラヅカ』は、よこしまな考えで女子高の教師になった男が巻き起こす学園コメディー。最初は「なりたかったな」「女子高の先生、面白いだろうな」と思ったが、先生がモテるとコメディーにならないため、「バタバタ、バタバタしている先生って形にしないとならない」と工夫した。寅さん的な「こいつばかだなあ」という形のコメディーの基本ができていたという。
『酎ハイれもん』が雑誌を救う
ヤンマガ創成期は弘兼さん、柴門さんと3人でトップ争いをしていたが、雑誌自体は売り上げが低迷し休刊寸前だった。そこでしのはら勉さんと組んで生まれたのが『酎ハイれもん』だ。
この作品は単行本化の際、それまでの漫画より判を大きくし、後に青年漫画で主流となるB6判を採用。これが売れ、「休刊になるところを生き延びました」と当時の編集長に言われた。酎ハイにレモンを入れるのが定番ではなかった時代で、「酎ハイって言葉にレモンをくっつけたのは、多分私の造語だと思います」と語る。
見栄えのよくない中年男の刑事と女子高校生の恋愛もので、「私がレモンになってあげる」という形の話。ハードボイルドだけど少女がいる、映画『レオン』のような感じで、それより早いという。毎回のサブタイトルに1960年代のアメリカンポップスのタイトルを使い、ラストシーンにその歌詞が流れる作りにした。曲のタイトルからストーリーも作りやすかったが、アメリカの版権元にいちいち許可を取らなければならず、担当者が泣いていたという。
このスタイルはその後一度もやっておらず、編集から「嫌です。どれだけ私が苦労したか知らないでしょ」と言われる。武論尊さんの作品で初めてアニメ化され、声はミュージシャンの世良公則さんが担当した。



