300年以上の歴史を持つシャンパンは、世界最高峰のスパークリングワインとして親しまれてきた。その世界ではいま、大手メゾン中心の時代から、土地や造り手の個性を映す小規模生産者へと価値観が変化している。書籍『世界を歩いたワインインポーターが語る 変貌するシャンパンの世界―教養として知るシャンパン革命―』(石田大八朗/ジェイコード)では、長年シャンパーニュの現場を見てきたワインインポーターの視点から、その歴史や近年の潮流、知っておきたいトリビアや楽しみ方までを解説する。本稿では、その一部を抜粋して紹介する。
シャンパーニュ地方の土地と畑は、誰のものなのか?
9月のシャンパーニュ地方は、収穫期(ヴァンダンジュ)を迎える。この時期に畑に立つと、ここが農民の土地であることを改めて実感する。世界最高峰のラグジュアリーワインを生む土地と聞けば、どこまでも広がる巨大農園を想像するかもしれないが、実際に目にすると、想像よりもかなり小さな印象だ。
数字でみると、AOC(フランスが世界に先駆けて整備した原産地保護制度。「どこで造られたか」という土地の価値を法律で守る仕組み)を名乗れる319村には、合計で約3万4千haのブドウ畑がある。それが28万近い区画に分かれているため、1区画あたりの平均面積は0.12haしかない。畑の総面積のうち、メゾンが所有するのはそのうち10%程度で、残りの90%は約1万6千戸のブドウ栽培農家が分け合っている構図になる。
小さな区画に一家総出、農家の手に残った土地
実際にはさらに偏りがあり、1ha未満の数区画のみ、中には数列のブドウ樹だけを代々受け継いできたような農家もある。また、一人の生産者が複数の村に、アヴィーズに0.2、クラマンに0.15、オジェに0.3のように小さな区画を持つことも珍しくない。収穫期になると、そんな小さな畑に一家総出の姿が現れる。祖父母、夫婦、親戚、季節労働者たち。朝靄の中、ハサミの音だけが静かな丘陵に響く。摘み取られたシャルドネやピノ・ノワールは、小さなケースに丁寧に並べられ、醸造所へ運ばれていく。そこには、大量生産の農業とはまったく異なる時間が流れているようだ。
一般的には、シャンパンの主役は巨大メゾンだという印象がある。しかし、その華やかなブランドを支えているのは、こうした多くの小農家たちなのである。19世紀以降、他の多くのワイン産地がそうであるように、シャンパーニュでもブドウ栽培農家の数はピーク時より減少した。その減少は、相続による統合、後継者不足、小規模農家の廃業、一部のメゾンによる畑取得などが積み重なった結果だ。ボルドーのように巨大資本へ畑が極端に集約されていった構図とは少し異なり、シャンパーニュの畑は今なお数多くの農家によって所有され続けている。
「シャンパン革命」の伏線とテロワールの時代へ
これは後から振り返れば、シャンパーニュの歴史を大きく変える伏線だったのかもしれない。もしすべての土地所有までメゾンが支配していたなら、本書で解説する「シャンパン革命」は生まれなかっただろう。しかし実際には、土地は農家の手に残っていた。つまり、彼らには自らワインを造り、自らの名前で世に送り出す可能性が残されていたのである。
そして20世紀後半、その可能性を現実へと変えた生産者たちが現れる。アンセルム・セロス(Anselme Selosse)をはじめとするRM(レコルタン・マニピュラン)たちだ。彼らは、従来の「メゾンの均一性」ではなく、村ごとの個性、単一区画の表現、栽培哲学、生産者自身の思想を前面に押し出し始めた。それまで長らく「原料供給者」として扱われてきた農家たちは、自らの畑そのものが価値になり得ることに気づく。そして、自分たち自身もまた、一つのブランドになれることを証明していった。ここから、シャンパーニュは300年近く続いた「ブランドの時代」から、「テロワールの時代」へと、大きく舵を切り始めることになる。