松江市は、宍道湖に抱かれた水の都だ。400年の歴史を誇る松江城を小舟に揺られながら眺めると、不意に自分がいつを生きているのか忘れるような感覚に陥る。芥川龍之介は1915年8月から半月余り、親友の恒藤恭に誘われてこの街に滞在した。家族の反対で幼なじみとの結婚をあきらめ、精神の危機にあった芥川は、松江で友の優しさと人生を楽しむことを知ったという。
堀川遊覧で巡る松江城の風景
国宝の松江城を取り囲む堀川を、屋根つきの小舟でめぐる観光遊覧は、全長3・7キロ・メートル、50分ほどの行程だ。船頭さんに案内され、17の橋の下をくぐる。四つは屋根を下げないと通れないため、乗り込むとまず背をかがめる練習をさせられる。
堀から眺める風景は変化に富んでいる。石垣の自然石は荒々しく積み上がり、水辺から覆いかぶさるように木々が伸びる。塩見縄手と呼ばれる通りには武家屋敷らしい建物が残り、往時をしのばせている。船頭さんは「陸地の方から手を振ってくる人がいます。大きく振り返すと喜ばれますよ」と声を響かせる。
中学の数学教師を勤め上げ、舟の仕事に転じたという倉橋浩さん(64)は、エコーが利く橋の下で「堀川音頭」を歌い出す。「授業と同じ50分一本勝負ですよ」と笑い、名前を教えてもらうと「新聞に出ると困るなあ」と照れた。
小泉八雲とセツの記憶が息づく街
松江の街中を歩くと、小泉八雲と妻のセツが描かれたポスターやのぼりが至る場所に飾られている。「あげ、そげ、ばけ」という方言は「あれも、それも、ばけるよ」といった意味だ。2025年秋から放送されたNHKの連続テレビ小説「ばけばけ」の効果は絶大なようで、2人の美しい愛の記憶は今も大切に受け継がれている。
「雪女」や「耳なし芳一」などを残した八雲ことラフカディオ・ハーンは1850年にギリシャで生まれ、アイルランドで育った。90年に中学の英語教師として松江に赴任し、セツと出会う。士族の娘に生まれながら没落した家に育ったセツと、幼いころに両親が離婚し左目を失明していた八雲は、苦難を乗り越え、物語が好きなことでも共通していた2人は急速にひかれ合った。
「小泉八雲旧居」では、ともに91年6月から5か月ほど暮らした。元は松江藩士の武家屋敷だ。小泉八雲記念館の館長で、八雲の曽孫の凡さん(65)は「すべてがかすんでいるような陰があり、夢の中を差す光のように穏やか。松江の風景が、自分が持つ影と重なり合ったのだと思います」と語る。
出雲そばと文学の街の温かい人々
松江城の近くにある神代そばは、70年の歴史を誇る名店だ。店主の佐藤博志さん(66)は「『ばけばけ』のロケでもそばを出し、主演の高石あかりさんにあいさつしました。飾らない方でした」と話す。「割子」と呼ばれる丸い器にそばが盛られた基本の割子そば(1020円)は、江戸時代に戸外で食べる弁当から発達した。出雲そばはのど越しを楽しむそばではなく、よくかんで腰の強さ、豊かな香りを楽しむものだという。口に含んでゆっくりとかむうち、思ったよりお腹が満たされてくる。そばとは、パワーフードだったのだと知る。
松江は実に多くの文学者が愛した地だ。芥川龍之介が夏の旅行で滞在した前年には、志賀直哉が住んだという。かつて八雲が買い物に訪ねた松江大橋のそばにある橘泉堂山口卯兵衛商店は、約束なしで突然訪れたのに店の来歴を説明してくれた。今も昔も、人が信頼できるほど温かい。