山下泰裕氏、モスクワ五輪でライバルとの交流が柔道の真髄を教えた瞬間
山下泰裕氏、モスクワ五輪でライバルと交流

モスクワ五輪、骨折からの回復と招待

1980年7月19日、ボイコット問題に揺れたモスクワ五輪が開幕した。柔道家の山下泰裕氏は、その約2か月前に腓骨を骨折し、退院したばかりだった。そんな折、東海大学総長で国際柔道連盟(IJF)会長を務める松前重義氏から、五輪柔道の視察に同行しないかとの誘いを受けた。迷った末に、その厚意を受け入れることにした。

会場での不安と予期せぬ再会

本来なら出場していたはずの五輪の舞台。試合会場に足を踏み入れたとき、どんな気持ちになるのか――「来なければよかったと後悔するのではないか」と不安を抱えていた。しかし、会場で1979年のパリ世界選手権決勝で破ったフランスのジャンリュック・ルージェ選手(のちの仏柔道連盟会長)が彼を見つけ、「おお、山下」と手を振ってきた。それに気づいた他国のライバルたちも次々と集まってきた。

ライバルとの交流がもたらした気づき

山下氏は2階の観客席の手前に降り、彼らと言葉を交わした。「大丈夫か?」「またやれるんだろう?」――そんなやりとりを通じて、柔道のすばらしさ、友情、平和を肌で感じたという。日本の関係者は、参加できない五輪を観戦するのは無念だろうと思っていたようだが、山下氏は「無念ではなかった。来てよかった」と振り返る。この経験が、柔道家としての彼の人生に深い影響を与えたことは間違いない。

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